煩悩の薪になる


以前の回(パワーとんちんかん)で紹介した「玄関先でサビた剪定ノコをいただいた」というエピソード。その後どうなったかというと…。

 

今まで手にしたどのノコギリよりも最高で、手入れしながらずっと使っている。もう、どこにも行ってほしくない。どんなところでもいつでも切れ味抜群。頑丈。チェーンソーで切ればいいものも「構わん」。燃料いらず。ずっと腰の下にぶら下がっていて欲しい。プレゼントしてくれた方、本当にありがとうございました。

あまりに信頼しすぎている。「えーいもういいや」と手袋をしないで切る作業をしていると、しょっちゅう勢いで手に当たる。いま左手の各指が傷だらけだ。

(以下、ステージネームは敬称略とさせていただきます)

***

 

週末の1月22日にGEZANが来る。広島のクラブクアトロ。

GEZANと共演するのは、二階堂和美さん。

このライブをサポートするのはこのサイトの主である、広島のSTEREO RECORDSだ。

 

GEZANは2020年に最新アルバム「狂」をひっさげて、ツアーで各地を巡る予定だった。その間にいろいろなことがあったのは、もしかしたら皆さんも知っているところ。

時系列など間違っているかもしれないけど、僕が知っている限りでは…

「30時間ぶっ続けのドラム演奏とその果てのライブ」という壮絶なドキュメントが配信された「全感覚菜」は、恵比寿のライブハウス屋上での「農園」のスタートとセット。それだけでも異様で、すごい。サポートしてくれた人には全国には種やプランターなども送られた。

僕がさらに印象に残っているのは、この時期、ライブハウスを巡るの現状を聴くドキュメンタリー映像もシリーズで制作、配信。これを僕は今住んでいる島で観ることができ、バンドマンが自らこの取り組みを行っていることに敬服の気持ちを覚えた。

僕はGEZANのライブを見始めたのは全然昔でもない。けれども、その中で何回も観たライブでは必ずと言っていいほどメンバー全員がライブ中にMCをしている。

音楽でヒリヒリする感覚を起こすバンドでありながら、こんな形で「声」を届けようとしている姿、それとドキュメンタリーで現場の生の声を拾うさまが一致していた。

 

突然のオリジナルメンバー・カルロス尾崎の脱退発表。たくさんの応募があったオーディションを経て、新メンバー・ヤクモアが加入決定。宮﨑から来た18歳だという。

僕も18歳のときにオーディションを受けて加入した、というところからバンド活動がスタートしたので、心ひそかに親近感を抱いている。

そこまでの間にボーカルのマヒトゥ・ザ・ピーポーは映画「破壊の日」(豊田利晃監督)に出演している。

新体制での初ステージはフジロック。そして、今度はアルバムかと思いきや、監督・脚本・音楽などを担当する映画「i ai」の制作・・・

どこからどこを切っても、平時、普通のときですらなかなかできるとは思えない活動。これをマヒトくんがインタビューでは「曼荼羅」と例えていたのが印象に残っている。

 

このバンドの生の表現が、広島に来る。

 

しかもこの日のステージは二階堂和美ことニカさんが広島で待っている。化学反応が起きないではおれなさそうだ。

 

ニカさんの歌声は人を安心してその場に居させてくれる、と同時に「優しい」という言葉だけではこぼれ落ちてしまう強烈な歌声と佇まいの表現者だと思う。変幻自在の歌声が身体のあちこちから弾む。あるいは芯から染み出したその声の波に誘われる。

 

GEZANのイーグル・タカのギターはワイルドな一方でとても繊細な響きに感じる。あんな風に弾きたいと毎回観ていて思ってしまうし、でも真似できない。

石原ロスカルのドラムは後方で支えているようでもあるけれど、誰よりも先頭を走っていくイメージでもある。釘付けになってしまう。

 

二階堂和美さんのパートナーは、ガンジーだ。ガンジーのベースプレイは、生き物そのものだ。僕はたまたまギターパンダこと山川のりをさんの瀬戸内バージョンとして、岩国のヒマールにて時折一緒に演奏させてもらってきた。演奏中、中央のパンダの向こうに一瞬目をやると、ベースを持ちながら音楽が憑依しているガンジーを見ることになる。

 

今、当日のメンバーを想像してみた。

その様子は、生き物と生き物のぶつかり合いになっている。

 

***

 

最近、歌のことを考えていた。

歌は、娯楽の面もあると思うけど、やっぱりそれ以上のもののような気がしている。

これだけはてな?が身近にあれば、その気持ちも強まる一方だ。

 

ポリフォニー(多声部歌唱)とモノフォニー(独唱・斉唱 /ここでは独唱のみ)の世界的分布からひもとき、歌の起源を論じたジョーゼフ・ジョルダーニアによる「人間はなぜ歌うのか?」にはこうあった。

歌うことは、単なる音楽現象ではなく、それは同時に重要な社会現象でもある。

(「人間はなぜ歌うのか?」-人類の進化における「うた」の起源)

 

われわれの祖先が二足歩行へと進む以前でさえ、不断の歌唱こそがホモ・サピエンスへと進化していく上で、最初の決定的な一歩であった、と私は考える。(同上)

 

その書籍の文末では、岡ノ谷一夫氏による解説が掲載されている。

 

私自身は、小鳥のさえずりの研究から、ヒトの進化においては歌を歌う行動が言語に先立ったのではないかと考えるようになった。(同上・解説より)

 

僕も、今なお歌われている歌には「鳥のさえずり」と同じような鋭さがあるのではと思うようになってきた。岡ノ谷さんをはじめ多くの人たちにも既にいわれていることかもしれないけれど。

気配を感知し、愛を表し、危険を知らせ、楽しさ、悲しさを歌う。

 

GEZANの「優陽」という曲があって、とても好きな曲のうちの一つ。歌詞もサウンドも全部好き。たまたまタイトルにうちの子どもたちの名前が入っていたということもある。それはギフト。

その曲が入っているアルバムは「Silence Will Speak」。由来はGEZANのアメリカツアーを舞台にしたドキュメンタリー映画「Tribe Called Discord」(神谷亮佑監督) に描かれている。

 

前回のこのコラムページで書いた独立研究者の森田真生さんがAmitav Ghoshという作家の作品を教えてくれた。”The Nutmeg‘s Curse“(ナツメグの呪い)という本は未邦訳で英語の本が全然スラスラ読めない僕はまだ読めていない。が、教えてくれた内容は、衝撃的でとてもショックを受けた。

雑誌「Voice」の今発売中の号に掲載されている森田さんの寄稿「ミュートを解除する」でも紹介されている。

 

人間による他の生物種の消音。その起源にあるのは、人間による、他の一部の人間たちの黙殺だった――このように論じるのは、インド出身の英語作家アミタフ・ゴーシュである。

(「ミュートを解除する」 Voice 2022年2月号)

 

一部の人間を「けだもの(brute)」や「未開(savage)」とみなす差別的な思想が、やがて木々や動物や山の声をも消音していく行為に広がっていった過程を、ゴーシュは丁寧にあぶりだしていく。

(同上)

 

GEZANが観た景色や、マヒトくんが歌ったこととこれらは関係がないとは、思えなかった。

 

先住民や、女性や、子ども、さらには動植物や地球の声は、いまも世界の至るところで軽視されている、しかし万物の声は、ボタン一つで、完全に消してしまえるものではない。

(同上)

 

声はどうしたら声になるのだろう。

声はどうしたら聴こえてくるのだろう。

 

Silence Will Spealの次のアルバム「狂」では、さらにリズムやダンスを更新したイメージを僕は勝手に受け取った。その先に来た、今。

ちなみに、同じく前回のコラムで書いたキセルの辻村豪文さんともちょっとしたエピソードがある。

2019年、台風直後に渋谷で行われた「全感覚祭」。最後のGEZANのステージを、辻村さんと隣同士一緒に観ていた。

 

***

 

2020年の正月明け、わが家に遊びに来てくれたのは、GEZANのチームだった。

2022年の正月明け、わが家に遊びに来てくれたのは、ニカさん家族だった。

2022年の1月6日。わが家にわずか2通だけ、年賀状が届いた日だった。

GEZANと二階堂和美さんからだった。

こんなことってあるのかな?とにかくびっくりしました。

これは何かある。

 

PAの内田直之さんが、今回のツアーへの投稿で、

 

もうええっちゅうくらい

炎に薪を焚べにいく

 

と書かれていた。そうなると僕は、薪になりに行くしかない。

剪定ノコギリで切り出された、煩悩の薪となるのだ。

 

三密加持すれば速疾に顕わる

重重帝網を即身と名づく

(即身成仏義 / 空海)

 

ここから始まる、物語。

 

 

『GEZAN BODY LANGUAGE TOUR 2022』 

2022/1/22(sat) 広島 CLUB QUATTRO

Open 18:30 / Start 19:30

ACT :GEZAN / 二階堂和美 / DJ 中村明珍

TICKET / ¥4,500(+1D)