私のミュージックポートレイト ~ Vol.03 (DJ DIET編)


広島音楽人の「私のミュージックポートレイト」、いよいよ第3回目の更新です。前回の将元からバトンを受け取ったのは、彼のDJの師匠に当たるDJ DIET(ダイ)さん。17歳でDJとしてのキャリアをスタートし、これまでペースを落とすことなく20年以上、あらゆるジャンルのイベントに出演されてきた広島の生粋のDJにインタビューを試みました。
(ダイさんが)『一番搾り』を空けながらの総インタビュー時間は約2時間、前2回を凌ぐ特濃な内容になっております。是非、ご一読ください。

―では早速1曲目を。THE BLUE HEARTSの「青空」。これって何歳くらいなんですか?
小学校6年生の時に『はいすくーる落書』っていうTVドラマの主題歌にブルーハーツの「TRAIN-TRAIN」が使われてたんですよ。そこから順番に聴いてってこの曲に出会うんですけど、この曲が自分にフィットした理由っていうのがあって。うちの学校が8月6日の原爆の日の行事に力を入れるような結構ポリティカルな校風だったんですよね。わりと政治的な先生が多い環境というか。で、この曲の歌詞って明らかに民族問題に対する歌詞じゃないですか。しかも言葉がすーっと入ってくるような。
―完全にそうですよね。一種のレベルソングというか。
そうだね、それをもっと咀嚼したような感じですよね。根底にあるのは怒りではないんだけど、何か問題を提起してくるような感じがある。
―タイトルも「青空」ですもんね。
そう。だから、このタイトルの真意って、地上にはあるけど、空にはボーダーが無いってゆう意味で僕は捉えてますね。見上げたらそこには境界線なんて無くて只々青い空があるだけじゃん、みたいな。
―なるほど。。。ブルーハーツって小学生でも分かるような言葉で、圧倒的な詞の世界を作りますよね。
別に音楽だけに限らず、人って物事を難しくしようとしがちなんだけど、甲本ヒロトが「難しい事こそシンプルに」みたいな事言ってて。彼らの音楽も、ハイロウズ、クロマニヨンズと経て、どんどんそぎ落とされてシンプルになっていってるじゃないですか。何か、彼らからはほんと学ぶことが多いですね。
―じゃあブルーハーツがダイさんの音楽的原体験になるんですか?
そう言っても過言ではないですね。特にそれまでは音楽好きな少年でもなかったし、普通に外で遊ぶような近所のガキでしたね。でもその後段々と多感になって来た時に音楽と出会うんですよね。僕、姉と兄がいるんですけど、姉にはブルーハーツのアルバムを教えて貰って、兄に関しては後で多大なる音楽的影響を僕に与えるんで(笑)。

―では2曲目、THE CLASHの「STRAIGHT TO HELL」ですね。
中学生になって、ピストルズとかクラッシュを聴くようになって。当時近所のレンタルCD屋に行って『LONDON CALLING』を借りようとしたら、無いんですよ、貸し出し中で。で、このジャケ(「STRAIGHT TO HELL」が収録されている1982年の5作目『COMBAT ROCK』)が一番パンクっぽいなと思って、これを借りたんですよ(笑)。そしたら、何か拍子抜けしちゃって。「パンクってこうなんだ?」ってなりましたね。で、実は当時パンクってものが自分にフィットしなくて。周りにはLAUGHIN’ NOSE(※1)とかを熱狂的に好きな子たちが普通に居たんですけどね。でもそんな中、やっぱり頑張って聴き込むわけですよ。お小遣いで買ったりしてる物だし、とにかく理解しようと思って。
1STとか『LONDON CALLING』の前に『COMBAT ROCK』を聴いたんですか?
そうですね。だから「Should I Stay or Should I Go」とかは「おおっ!!パンクっぽい!」ってなったんですけど。でも意外にこの曲が何か分かんないけど自分にフィットしたというか。今聴いてもめちゃいい曲だし、今自分がやってるDJのプレイには大きく影響してますね。現在の目線で見ると、ちょっとダブっぽい独特の浮遊感の中に、アフリカンのようなリズムがありますよね。今回10曲の中には入れなかったんですけど、僕The Spacialsも好きで。1stよりも2nd。で、それよりもSpatial A.K.A。Jerry Dammers(※2)最高!みたいな(笑)。
―直球なモノよりも亜流なモノの方が好きだったんですね。
そう。だから、ストレートなモノよりも何かが混ざってる感じというか、そういうものの方が好きな自分のルーツが、このクラッシュの曲だったのかなあ、と後々音楽を聴いていって思いましたね。自分の場合はパンクのアティテュードっていうのも、音楽的な事ではなくて、その思想や精神に影響を受けてるんじゃないかと。あと、音楽のジャンルにしても、あれって後付けじゃないですか、業界の人の。例えば僕らの時に新しく生まれた〈スカコア〉とか〈メロコア〉ってジャンルも、結局つまるところはパンクかハードコアか?って所だと思うし、自分の音楽遍歴を辿って行く時に違和感があったりするんですよね。「あれ?これ、今まで通りロックでいいじゃん」みたいな。
―そこで知った新しいジャンルを掘っていったりしたんですか?
まあまだ中学生ですからね。ぼんやりとはあっただろうけど。でもさっきの話の続きじゃないですけど、兄が当時から多感な人で、自分でジンとか作ったりしてる人だったんですよ。で当時深夜に『BEAT UK』ってゆう海外の音楽を紹介する音楽番組があって。そこに向こうのインディーのバンドがどんどん出てきたりするんですよ。コクトー・ツインズとかレニー・クラヴィッツとか。兄が録ったその番組をこっそり観るってゆうのをやってましたね。「何だこれは!?」みたいな衝撃があったのと同時に新しい音楽の質感に触れるというか。とにかくその頃から兄の影響は滅茶苦茶受けてましたね。
※1.LAUGHIN’ NOSE…1981年結成、現在も活動を続ける日本のパンクバンドのオリジン。
※2.Jerry Dammers…The Spacialsのリーダー。同バンド解散後、Spatial A.K.Aを率いて活動した。

―3曲目はRED HOT CHILL PEPPERSの「UNDER THE BRIDGE」。もしかしてこれリアルタイムですか?
そう!これは高3の頃でリアルタイムで、とにかくメチャ好きでした。この頃って、この曲が入ってる『Blood Sugar Sex Magik』、ビースティ・ボーイズの『Ill Communication』、グリーンデイの『Dookie』とかが一斉に出た頃で、ロックもパンクもヒップホップもとにかく凄くて(笑)。週替わりでチャートが大きく変わるような時代だったんですよ。UKではジャミロクワイとかのアシッドジャズが出てくるし。しかもそのどれもが質感が似てるんですよね、ストリートミュージックの範疇にまだある音楽、みたいな。産業ロックっぽいのもまだそんなに多くはなかったし。正直自分が若いころに90年代を過ごせたのには感謝してますね。ジャミロクワイやレニー・クラヴィッツが広島来た時は観に行ったりしてましたもん。
―レッチリはどういう部分に惹かれたんですか?
彼らの音って、もちろん激しさもあるんですけど、それこそカリフォルニアを思わせるようなイイ具合にレイドバックした感じがあるんですよね。当時は分かんなかったけど、独特のファンクネスも彼らは持ってるじゃないですか。今聴くと、「ファンクじゃん~」みたいな。僕、この曲とか「Scar Tissue」を、メイヤー・ホーソーンとかと混ぜたりしてDJでかけるんですけど、そういう西海岸のソウルみたいな感触なんです。
で、時代はちょっと飛ぶんですけど、21歳の頃に初めてアメリカのロスに行って。車を走らせてたりすると、不意にラジオからこういう曲がかかったりするのがもう最高で(笑)。(PV観ながら)まさにこういう風景だよなあって。やっぱり音楽とシチュエーションって相当大事だと思います。

―彼らのライブは観たことあります?
僕フジロックの第一回行ってるんですよ、そこで観ました。ギターが当時好きだったデイヴ・ナヴァロで。でもその後加入するジョン・フルシアンテの哀愁漂う演奏も同じくらい印象的なんですよね。で、フルシアンテいまアシッドハウス作ってるでしょ。だから自分のDJが今ハウスとかダンスミュージックに傾倒してるのももしかしたら何となく影響あるんじゃないかなって。

―4曲目はBOOKER T. Jonesの「JAMAICA SONG」。イントロとか完全にフォークですよね。
当時レコード屋でこのLPを発見した時はBooker T & the MG’sの人だとは思わなかったんですね。「ブッカーT.ってあの(Booker T & the MG’sの)ブッカーT.?」みたいな(笑)。その頃フリーソウルムーヴメントが来たのもあって、Booker T & the MG’sと言えば「Green Onions」みたいなファンクベースのモッズ定番曲のイメージだったから。で、僕が働いてた洋服屋の店長がポンちゃんってゆうんですけど、DJもやってて、よくこの曲をかけてたんですよ。で、「すげー良い曲だな~」って思いながら「あれ?そういえば俺この曲持ってる!」みたいな。当時は理解できてないまま自分のレコード棚に入ってたんだと思います。買った時もよく分かんないまま〈Booker T〉ってゆう名前に釣られて、みたいな。
あと、この曲に関しては当時よりも今の方が断然好きなんですよね。僕、その頃には既にDJやってたんですけど、(この曲の)かけ方が分かんなくて。あとになってこの曲の構造とか良さが分かりましたね。それこそ友達のチャーベ君(松田chabe岳二)もカバーしてたし。

―フリーソウルムーヴメントって広島にも来たんですか?
ありましたよ。広島はモッズシーンもちゃんとあったし、そっからフリーソウルに移って行って。さっき話したポンちゃんがそういうのをキャッチして広げていきましたね。クラブでもそれまで60年代の黒っぽいソウルとかR&B、ロックステディばっかだったのに、いきなりブリージンなやつがかかったりして(笑)。ほんとポンちゃんの影響はデカかったですね。その時は誰も知らないような良い曲を真っ先にかけてましたし。
―普段からクラブ通いしてたんですか?
してましたね。僕は当時普段から毎夜クラブに行ってて、しかもそれぞれ毛色が違うイベントに行くっていう。僕が昔から系譜立てて音楽を聴かないっていうのは、もしかしたらそういうコトなのかもしれないですね。
―なるほど。知識が先ではないと。
クラブで遊んでて、その延長で良い音楽を買うから。まず「良いな」と思ってフィーリングで買う。行為としてはただ音楽を買うだけ。だからそれぞれの点が線になるまで時間はすごい掛かりましたね。でも年々その線がボリュームアップしてくるから、それに合わせてDJも良くなるって感覚ですかね。最初はこの曲とあの曲をどう繋いで良いか分かんないけど、ある時線で繋がってそれがどんどん肉付けされていくっていうか。

―5曲目はSNUFFの「SOUL LIMBO」。これは少し意外でした。
この頃21歳とかかなぁ。実は僕当時この辺のパンクがあんまり好きじゃなくて、「だせぇなあ」とか思ってたんですね(笑)。でもスナッフは何曲かクラブヒッツを持ってて。で、その中の1曲がこれで「え!?これブッカーT.のカヴァーじゃん!!」っていう衝撃。こういうバンドがソウルをやるってのがイメージできなかったから。ランシドとかのスカパンクもそうだったんですけど、この辺の他ジャンルを混ぜたようなセンスが超好きで、ロックスのDJとかでもよくかけてましたね。
ちょっと脱線するけど、昔ハイスタ(Hi-STANDARD)のマーチャンTシャツで「SOUL PUNK」って書かれたのがあって、正にこれ(この曲)じゃん、分かるわーって(笑)。曲調も何となくハイスタっぽいでしょ。

―確かにそうですね。
で、僕らの友達に(岸田)哲平ってゆうカメラマンがいるんですけど、一回スナッフのジャケにその哲平の撮った写真が使われたことがあって。広島に一回だけスナッフが来た時にそれ持ってサインを貰いに行った事がありましたね。
―良い話ですね。話が少し戻るんですが、その頃もうロックス(※3)でやってたんですか?
僕ロックスは19歳からやってます。まだ客として(ロックスに)行ってた頃に当時の先輩にエレベーターの中で誘われて、メチャ嬉しかったのを覚えてますね。やっぱり(ロックスは)広島のDJカルチャーの一番だったし、ちゃんとメインストリームにあったしね。自分なんかがやって良いのかなーと思いつつも、二つ返事で入りました。
※3.ロックス(tHE CLUB ROCKS)…1994年から続く広島のロックDJパーティー。現在は毎月第3金曜日に開催。

―6曲目はTHE VERVEの「BITTER SWEET SYMPHONY」のJAMES LAVELLE MIX。これはこのミックス推しってことですか?
そう、こっち(笑)。僕が当時働いてたアパレルのお店が〈エイプ〉(=A BATHING APE)を取り扱ってて、ジェイムス・ラヴェル(※4)がエイプとコラボしたりしてたんですよ。
最初は「え、なんでリミックスがラヴェル?」と思いつつも、ファッション的に見たら僕はしっくり来たというか。UNKLE(ジェイムス・ラヴェルの別名義による音楽プロジェクト)とかもブレイクビーツっぽく曲を作ってるし、アメリカとは違うリミックス文化みたいなのにすごく感動しましたね。あと、この感じがいまのシーンのカギだったりするのかも、とも思ったりしますね。

―と言いますと?
音楽とファッションって割と切り離されて考えられがちだけど、イギリスってファッション・音楽・アートが一体化して捉えられてるんですよ。そういう感覚をヴァーヴとかローゼズ(THE STONE ROSES)から得たのはあります。だから当時もヴァ―ヴを知らない人がラヴェル経由でこの曲を知ったってゆうパターンもあったと思うんですよね。これもうイントロからカッコいいもんね(笑)。今でもかけるけど当時もロックスでよくかけてましたね。
―当時のロックスって何人くらいの集客だったんですか?
ピークの頃は毎月200人くらいかなあ。
―200人!?
入れなくてお客さん行列になってるんです。DJを僕と(英スポ)太郎君と、SAKIちゃんでやってて、SAKIちゃんがロンドン行った後の数回は21時から翌朝の5時まで太郎君と二人だけで回してましたね。僕がメロコアかけてUKロックかけてルーツロックかけて上げながら、太郎君はUKロックかけてまた僕がメロコアで返して…、みたいな流れでしたね。で、当時流行ってたアンダーワールドとかケミカル・ブラザーズプライマル・スクリームでピークを作る。あの頃はスゴかったですね、クラブで普通にダイブもありましたし。
―オアシスとかってクラブでの反応はどうだったんですか?
オアシスはピークタイムですね。メンバーそれぞれが違う曲を好きだったから、皆それぞれ違う曲をかけてましたね。でもホント、オアシスの曲はよくできてますよ。音の配列も良いし鳴りも良いし。家で聴いてもクラブで聴いても良いのって実は中々ないですから。音楽として100点ですよね。
※4.ジェイムス・ラヴェル(JAMES LAVELLE)…イギリスの音楽プロデューサー/DJ。レーベルMo’WAX主宰者。90年代半ばからUNKLEとして活動し、音楽における様々なジャンルをストリートの感覚でもってクロスオーバーさせた要人。

―では次、MASSIVE ATTACKの「TEAR DROP」ですね。
これは3rdの『Mezzanine』に入ってて、もちろん1st2ndも当時聴いてたんですけど、若いからいまいち分かんなくて。でもさっきのヴァ―ヴからの流れみたいなもので、こういうサイケデリックな雰囲気とかもだいぶ分かるようになってきてたのも確かにあったんですよ。これボーカルがコクトー・ツインズのエリザベス・フレイザーでしょ。ギターポップが大好きだった兄の影響でそれまで聴いてきた音楽がここに繋がる不思議感っていうのはありましたね。「なんでボーカルがエリザベス・フレイザーなの?」みたいな。この硬質でダークな感じはたまらなかったですね。
あと、雑誌の『remix』でこの頃のマッシヴがSpatial A.K.Aと質感が似ている、みたいな記事があって「分かるわ~」みたいな(笑)。UK独特の湿った質感というか。好きなものが繋がる瞬間だったですよね。さっきの話じゃないけど点と点が線になり始める頃だったと思います。

―こういうのをロックスでかけた時の反応ってどうだったんですか?
お客さんのレスポンスは良かったですよ。かけてるやつのジャケットを(お客さんに見えるように)出すっていうのもあったし、「さっきマッシヴかけてましたよね!」とか「きょうのあの曲良かったです!」とか。系譜立てて聴く人もいるし、僕みたいにすっ飛ばして聴く人もいるし、(そういう人達がDJするから)イベントとして面白かったんですよね。「ああ、こう来るんだ」みたいな面白さがロックスにあると思います。僕が入った頃、ロックスの創始者だったコンディさんに「ロックだったらなんでも良いから。お前がロックだと思うものをかけろ」って言われたのがほんとずっと根底に残ってますね。
…でも(この曲)改めて聴いたらド渋なサウンドだね(笑)。

―こういうサウンドってやっぱりブリストルってゆう土地柄も関係あるんでですかね。
ブリストルは行った事ないですけど、音楽と地域性は絶対あると思いますね。西海岸のサブライムとかレゲエのリズムが根底にあって陽気でしょ。逆に寒いトコにある東海岸のワシントンとかボストンのストレートエッジなハードコアのバンドとかは「ウオーーーーッ!!!」みたいな。(アメリカの)デトロイトやドイツも工業地帯だからテクノが生まれる理由も分かる気がしますよね。工場のプレスって反復の音だから。広島で言ったらマツダの人がテクノ作ったり、それにカープの要素が加わって「祭りテクノ」みたいになるかもしれないですよね(笑)。
―祭りテクノヤバいですね(笑)。

―8曲目はEROTの「SONG FOR ANNIE」ですね。
2000年位だったかなあ、僕が一気にダンスミュージックに傾向した時期がありまして。IDJUT BOYSのミックスCD聴いてたらこれが入ってて、「何だこれは!?」と。他の楽曲と比べても質感がハウスっぽくないんですよね。それこそ何かギターポップっぽいというか(笑)。その頃は〈BIG LOVE〉の仲君がまだ〈エスカレーターレコーズ〉をやってた頃で、エレクトロ・クラッシュとかも含めそういう音楽を一杯仕入れてたんですよね。僕もディスコ・ダブとか聴いてましたし。その中でもこの曲はホントに良かった。ブリージンだし、ネタのチョイスとかチョップの仕方とかも超気持ち良くて。僕の中で起点になった曲でもありますね。
―この曲がターニングポイントだったと。
何か、ハウスミュージック初心者の日本人にとって、「黒すぎる」と困るというか、そういうのがあると思うんですよね。僕、当時からハウスパーティとかもよく行ってたんですけど、その場でそんなにハッピーになる事も怒る事も無かったんですよね。そういうのってやっぱり黒人独特の感性のもの、って分かったというか。でもそういうの(が根っこにある曲)を日本人のDJがかけたりするのが、よく分かんなかったんですよ。そんな時に亜流であるUKハウスに出会って、何かしっくり来たんです。で、僕ダンスミュージックもサンプリングだっていうのを知らなくて。ヒップホップみたいにビートやブレイクじゃなくてウワモノをサンプリングしてグルーヴを作り出す事もあるんだってゆう衝撃もありました。しかもクドくない(笑)。あと余談ですけど、エロットはこの曲を当時の彼女だったアニー(ANNIE)の為に書いてるんですよね。その辺も超良いじゃんって(笑)。その頃からロックスでもダンスミュージックをガンガンかけるようになりましたね。
―時代的にもエレクトロなものが確実にロックの範疇に入ってきた頃ですよね。
でもね、他のロックのイベントでも、アンダーワールドとかケミカル・ブラザーズはかかるんですけど、もう一歩踏み込んだトコには誰も行かないから、僕がそのもう一歩踏み込んでダンスミュージックをかけてた時期がありました。例えばDJ Harveyとかイジェットとかかけながら、エレクトロ・クラッシュを混ぜてた時期もあったんですけど、でも結果あんまりウケなかったんですよね(笑)。

―いよいよ大詰めですね。THE RAPTUREの「HOUSE OF JEALOUS LOVERS」。これイイですよね。
これはさっきのロックスの話と繋がる部分があるんですけど、一時期ロックスの中の自分の役割(ロックかダンスか)みたいな事で悩んでた時期があったんですよ。ちょうどその時に出会った曲で。一発で「これだ!!」ってなりましたね。この質感とダンスとロックが完璧に融合した感じ。ツールとしては人生を考えた一曲と言っても過言ではないです(笑)。点と線の話で言うと、ロックとダンスっていうそれぞれの点を結んだ線になる曲ですね。
―僕も当時衝撃でした。
まあ、トーキング・ヘッズだなあ、とも思ったけど、もうちょっとキテるというか。じゃがたら(暗黒大陸じゃがたら)みたいな感じ?ピストルズよりもパンクだと感じましたね。ロックのマナーをきちんと持ってて、とにかく熱量がすごい。だから「ああ、この方法でいいんだ。」って思えましたよ。悩んでたのがきちんと着地しましたもん。で、時代もやっぱMOODMANとか瀧見(憲司)さんがかけてたオルタナティブ・ハウスとかがクルようになったし。僕もこの頃広島に初めてRUB N TUG呼んでNYの質感を肌で感じましたから。「ロックとディスコの組み合わせって超悪いじゃん(笑)!」みたいな。新譜聴いて久々にストリートミュージックだ!と思いましたね。(ラプチャーは)10年以上前の曲ですけど今でもかけますからね。当時はほんと擦り切れる程かけましたよ。僕これ3枚持ってますから(笑)。
―(ここで傍で聞いていた将元が質問を挟む)いまでこそこの曲はロックス・クラシックですけど、当時って皆この曲のことを理解してたんですか?みんな踊ってました?
いや、踊ってないですよ。でも、クラシックを作るのは僕らですから。新譜をかけ続けないとクラシックになり得ないから。みんながみんな(新譜を)聴いてるわけではないから、「こんなんカッコいいですよ」っていう意味も込めてかけ続けてましたね。DJってそういう役目もあるとあると思います。やっぱり大貫(憲章)(※5)さんがかける「I Fought The Law」と僕らがかける「I Fought The Law」は違いますから。「だったら僕らは新しいパンクをかけよう」ってなりますよね。
※5.大貫憲章…70年代から活動している音楽評論家にして日本のロックDJの草分け的存在。80年より続くイベント「LONDON NITE」の主催者。

―では最後の曲を。YOUR SONG IS GOODの「RE-SERCH(FORCE OF NATURE REMIX)」これまだ最近の曲ですよね?
2年前かな。僕、ユアソンはずっと好きなんですけど、彼らもロックとダンスミュージックを繋ぐような存在じゃないのかなーって思ってて。これは友達のFORCE OF NATUREのリミックスなんですけど、彼らは他にもDJのGonnno君やCrystal君、CLUE-Lの瀧見さんとかに(シングル用の)楽曲のリミックスを依頼してるんですよね。でもユアソンは(ポップフィールドの)カクバリズムでしょ?その辺が「バランス良いな~」って思ってて。とにかくリミキサーのセンスがイイ(笑)。
―確かに、厳密に言えば他フィールドですもんね。
僕は自分の事を「ハブ」だと思ってるんです。DJでも面白いと思えるミックスを大事にしてきたし、働いていたお店もセレクトショップだったし、そういう意味ではハブなのかな、って。そういえば昔、かんちゃん(STEREO RECORDSの神鳥さん)とユアソンを広島に呼ぼうとしたことがあって。その時はスケジュールの都合でボツになったんですけど、仮に今できるならユアソンとFORCE OF NATUREとかGonnno君やCrystal君を呼んでも面白いと思うんですよね。
結局、自分はリミックスっていう文化が好きなんだと思います。言葉で言い表せないモノの新しい価値観を見立てるというか。僕が今やってる〈GLOCAL HOUSE〉っていう民泊の家についても、本当は”GLOCAL”なんて言葉はないけど、それは言葉が先行するか、物事が先行するかの違いだけであって。”GLOBAL”で”LOCAL”、あと”GOOD LOCAL”って意味もあるし。文化が育つっていう意味では”GROWとCULTURE”。受け手が自由に取ればいいんですよね。曲の話に戻るけど、これもジャンル分かんないじゃないですか。「テクノ?ダブ?」みたいな。ほんわかしてて定義できない。最初に挙げた「青空」の話じゃないですけど、常にボーダーを越えていく感覚っていうのは僕の中にずっとあると思いますね。なんか哲学的な話になってきたね(笑)。

―イイ感じの着地だと思います(笑)。でもユアソンって絶対リミックス出しますよね。
リミックスを依頼するのって要は自分の価値観を他人に委ねるワケじゃん。それって勇気いるし恐い事だと思うんですよね。客観的に自分を見るツールというか。でも逆を言えば自信があるんだなあ、とも言えますよね。素材が良いからイイもの作ってよ、みたいな。

◆ DJ DIET (GLOCAL HOUSE/THE CLUB ROCKS/DISCO UNION)
10代の時から現場で叩き上げた選曲とMIXで20年続くTHE CLUB ROCKSの看板DJとして活躍中。
また自身が主宰するDISCO UNIONを不定期に開催し、Rub-N-Tugの初来日での広島でのサポート、更にはDJ Harvey、Theo Parrish等の海外DJを広島に招聘する他、Force Of NatureやDJ HIKARU、DJ NOBU等とも共演し、彼らからの信頼も厚い。
また、ライブ・イベント『夜明け前』をステレオレコーズと共に共催。Sly Mongoose、Zazen Boys、BRAHMAN、Comeback My Daughterなどのライヴも手掛ける。
上記の様な活動により、今まで広島に招聘、共演したアーティストは国内外、メジャー、インディー問わず多岐に渡る。
ここ近年は活動の場を広島以外にも広げ、広島を代表するDJとして活躍中。
地元廿日市の古民家でGLOCALHOUSEと言うゲストハウスを運営中。

〈後記〉
如何でしたでしょうか。今回のインタビューで特に印象に残ってるのは、音楽の聴き方の点と線の話。良いと思ったものを純粋に見境なしに聴いて行ってそれが後々繋がるという。なるほどと思わされました。今まで自分の周りには、音楽を系譜立てて聴く人しかいなかったので、なおさら唸る部分が多かったです(笑)。皆さん、ダイさんのクロスオーヴァーなDJは観た(聴いた)方がいいですよ。本能でプレイしてる感じですかね(笑)、本当に面白いと思います。