スマホとぞうきん15


sumaho&zoukinmini

DJまほうつかいが音楽教育に根ざさないエレクトロニカ/ポストロック/コラージュ的な表現から、素朴すぎる「ピアノソロ」へと移行したのは、今は中学3年生になった娘がまだ小学一年生だった頃、ピアノ教室への送り迎えをしていたことに由来する。娘の個人レッスンに保護者として立ち会ううちにむずむずとピアノが弾きたくなり、まず娘のレッスン時間からラスト10分をわけてもらい、その10分がやがて20分になり、30分になり、30歳を超えてから生まれて初めて初歩的なピアノレッスンを受けるようになった。

実際にレッスンを受けてみると、譜面がプログラム言語であり、ピアニストはそれを読み込み再生する生身のシーケンサーだということがよくわかる。生演奏とはいえ雑味や個性を求める以前に「正確さ」が第一に求められる。ピアノ演奏はルールが厳格で、譜面にはテンポやループ、強弱の指示があり、一周してテクノやハウス、DTMで作られた音楽のようだなと感じた。つまりとある楽曲の正しい再生のために、譜面があり、演奏家がいる。

そう考えると、アナログレコードよりずっと古い音楽の記録/再生装置がピアノだと思う。楽譜はプログラム言語であり、楽譜とピアノ、演奏家さえいれば、過去の膨大な音楽のアーカイブを時を越えて再生することができる。作曲者による楽譜は絶対的であり、多くの場合演奏家はそれに隷属する形で再現演奏をする。それを息苦しく感じる演奏家がジャズや前衛に走ることも、初歩的なものでもピアノ教育を受けると理解できる。

楽譜とピアノという300年以上前から続く音楽の記録法。DJまほうつかいは再現装置としてはポンコツで、クラシックの名曲を譜面を読みながら弾けるわけではなく、スラスラと弾けるのは自分で作曲したシンプルな曲だけ。でも、オリジナル曲の作曲時においては、どれほど簡単な自作曲であっても律儀に楽譜に記していた。それはデジタル環境から逃げられない現代で正反対な音楽表現を実践したかったらからだし、ヴァイナルジャンキーを超えて300年来をさかのぼるオールドスクーラーを気取ってみたかったのだ。