今朝、僕の頭にちょんまげが生えていた。たぶん江戸時代ぐらいの設定で、後頭部から生えているバカ殿みたいな髪の束。それについて、近くにいた誰かが説明してくれた。
「ちょんまげって、知ってる? 鍋の油汚れをふき取るための道具なんだよ。ほらよく見てごらん。みんなべちょべちょでしょう」
ほんとだ。僕のもみんなのも、すっごい汚い。ちょんまげがべちょべちょ。ああそうか。この時代、洗剤がないからか。こうするしかなかったのか。
「あ、あの殿も、この殿もだ」
納得したところで目が覚めました。
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以上の話は、以下とは全く関係ありません。
この週末10月26日に酒井大明さんが、僕が住んでいる周防大島に遊びに来てくれます。来てくれるついでに、楽し気なイベントもやることになりました(本文終わり参照)。わりと急にこういう展開になったのですが島に来てから6年、そんなに頻繁にやりとりしていたわけではなく、たまたまこの夏「明石さん」という僕の農業の先生が主役の映画(「お百姓さんになりたい」)のアフタートークにふらりと来てくれたのがきっかけの一つでした。
僕にとっては10代のころから多大な影響を受けた人(現・OhayoMountainRoadのギター / ボーカル)で、音楽をこよなく愛するミュージシャン。出会ってからも20年近くたつのもあり、ちょっと振り返ってみたいと思います。
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「YOUNG PUNCHの記事読んだことあるよ。DOLLに載ってたよね」
まだ銀杏BOYZに入るずいぶん前、たぶん初めて会ったときでしょうか。スカパンクバンドのYOUNG PUNCHでギターを弾いていたときのインタビューを読んだよと伝えてくれました。
僕は、自分の見聞とパンク雑誌DOLLの読みすぎにより、スカパンクシーンとハードコアシーンの間には大きな壁があるように感じていた。当時、ハードコアバンドであるOACからBREAKfASTやEXCLAIMの活動を始めていた酒井さん達からは、興味を持たれていないと思っていました。むしろ「僕みたいな者に、たぶんムカついてると思う」と。正直、怖かったんです。
「記事を読んだ」というだけで「興味がある」というわけではなさそうでしたが、そういうこともあって、僕には嬉しかった。
そもそも、といえば―――。
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まだ知り合う前の時期のことです。YOUNG PUNCHが練習していたのはONAIR西新宿というスタジオの2階とか3階とかだったんですが、時折その5階で「スタジオライブ」と称してライブをやっていた方たちがいたんです。
あるとき、酒井さんのバンド「OAC」のライブのチラシをみると会場はそのスタジオ。なので、僕は練習が終わって2階から降りずに5階の部屋へそのまま行きました。
その日のライブでは、4ピースのはずのOACが3ピースで、ボーカルのはずの酒井さんはなぜかベースを持ちながら歌っていた。そして一言、
「ベース募集していまーす」
僕はその瞬間「入りたいな」と思った。それぐらいのインパクトがありました。
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その後、OACののち、BREAKfASTへ、そしてEXCLAIMもあった。僕は大学を卒業して、ライブをしばしば観に行くようになりました。
当然、僕はただの客です。観に行って、勝手に感動して、家に帰る。
そういうなかで、たまたまカクバリズムの渉くんなどを通して、すこしおしゃべりするように。といっても緊張しながらです。その時期に、さっきの「インタビュー読んだよ」のくだりがあったわけです。
あるとき、英語のレッスンをしてくれたり遊んだりする友人のJosh(BIG BOYSのTim Kerrの友達)とBREAKfASTのライブを観に行った折、Joshもすごく感動してドラムの陽くんと「ガレージバンドを組む」となぜか盛り上がり、僕がギターでバンドを組むことに。そして酒井さんも誘おうよとなった。酒井さんは巻き込まれ的に、僕とツインギターに。これは僕にとってはすごい事態でした。
このバンド、Short Tale Devilsは時期的には長くはなかったのですが、バンド冥利に尽きる体験となりました。
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ときは流れ、僕は銀杏BOYZに加入。余談ですが、スカパンク時代から銀杏入ってからも、僕はやはり「ファッションパンクス問題」「セルアウト問題」「ポーザー問題」のことが気になっていて。バンドの人たちやDOLLや各種ジンの影響だったりするんですが、人気があったとしても恥ずかしくないバンド活動をせねば、と自分のなかで緊張関係がありました。
そんな中で、BREAKfASTは銀杏BOYZのメインで行った最初のツアーの愛知・三河安城のライブに出てくれた。それがまた最高にうれしかった。もしかしたら嫌いなんじゃないかなとも思っていたので。
そののち、僕は銀杏BOYZのバンドの中のギタリストとして生活をしていく中で、今度は「ミュージシャンとして」壁にぶち当たることになりました。そう、「BEATLESちゃんと向き合ってこなかった問題」です。
楽曲、サウンド、アレンジ、プレイ、生き方、どこをとっても現代ポピュラー音楽に触れる者としては避けられない宝、THE BEATLES。これを遅ればせながらモノにしたいと思ったときに、舞い降りたのがまたしても酒井さんでした。
楽器隊3人で借りていた高円寺の1室で、ビートルズとの向き合い方を教えてくれる。ブラックバードの弾き方を教えてくれる。
あるとき、酒井さんはビートルズ文献のなかでも秘蔵の経典、ジェフ・エメリック和尚による「ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実」を高円寺に請来してくれました。僕はこのエンジニアからみた風光にもかなり影響を受け、それを「あいどんわなだい」から「SEX CITY」といった銀杏の諸作品に落とし込んでいきました(注・サウンドは全然違います)。
酒井さんはそのころ、ハードコア音楽を演奏することからルーツミュージックに移行して、THE BITEというバンドで活動していました。
銀杏での僕も、2010年前後はずっとレコーディングに明け暮れていて、「映像もトラックメイクも基本自分たちでやる」スタイルを続けていた自分たち、演奏技術的にもサウンドメイク的にものたうち回るような試行錯誤が続いていました。
そんな時、THE BITEの新作「ポケットにブルース」が出て、聴いてすごくカッコよかった。中をみるとプロデューサーは吉田仁となっている。サロンミュージックでありフリッパーズ・ギターなどのプロデューサーでもある吉田仁さんに、全くもって面識ないながら、藁にもすがる気持ちでその作品づくりの秘密を訊きに行ったことがありました。
そのことを経たおかげで、銀杏の「光の中に立っていてね」「BEACH」という2枚のアルバムづくりを進めることができた。(僕は途中で辞めてしまいましたが)
酒井さんの活動はOhayo Mountain Road へと展開し、ますます音楽を探求。最新作は8cm CD といつでもお茶目でドゥームでルーツな音楽を世に放ってくれています。
あるときはグレイトフルなデッドの曲も一緒に演奏したこともあった。BOB DYLAN, BLACK FLAG, BREAKfAST, みんなBだ。
酒井さんの音楽はいつだって最高です。
そして遅い音楽、速い音楽。僕はいまでも音楽の問い合わせを酒井さんにし続けています。
そのことを踏まえて、映画「お百姓さんになりたい」を観に来てくれたことを考えると、この日本で、いったい何が起きてるんだと思わずにはおれません。
そのことをこの目でしっかり見届けるために、僕もこの週末を迎えたいと思います。
と思っていたら、冒頭の変な夢をみたよ。というお話でした。
つづく
酒井大明 (Ohayo Mountain Road / THE BITE / ex BREAKfAST / ex EXCLAIM / etc)
Instagram https://www.instagram.com/hiroakisakai138/
Twitter https://twitter.com/hiroakisakai
(写真左から)
明石誠一さん、中村明珍、酒井大明さん
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中村明珍(寄り道バザール/中村農園)スケジュール
10月26日(土)18時-23時 @イベントバー周防大島
酒井大明 × 中村明珍「音楽とおれたち」(トーク)
11月2日(土)10時-15時@周防大島・八幡生涯学習のむら
「島のむらマルシェ」(出店)
11月10日(日)18時30分 - @岩国・himaar
三島邦弘(ミシマ社)× 中村明珍 「寺子屋ミシマ社 『ちゃぶ台』次号をみんなで企画会議!」
11月17日(日)14時-17時30分 @周防大島・正覚寺
森田真生(独立研究者)「数学の演奏会 in 周防大島 Talk & Walk Live」