私のミュージックポートレイト ~ Vol.05 (青山高治 (RCC) 編)


今回のミュージックポートレイトのゲストは広島の夕方の顔、『イマなまっ!』でメインキャスターを務めるRCC(中国放送)アナウンサーの青山高治さんです。大の音楽好きで知られる青山さん、実は前回のゲスト・合同会社082の石塚さんの出身大学である修道大学の1学年上の先輩だったとの事。石塚さんも同席の元行われた今回のインタビュー、いきなり学生時代の話で盛り上がりました。


ヅッカ(石塚さんのこと)映画研究会だったでしょ?サロンシネマで(上映会で)『ワイルド・アット・ハート』をかけたよね?あれ俺観に行ったもん。

―(石塚さん/以下:石)マジで!?

そこから『ワイルド・アット・ハート』にめちゃくちゃハマって。よく蛇皮の革ジャン着てたニコラス・ケイジの真似してたもん。サントラもすぐに買ったし。

―(石)えー、来てたんだ。あの映画俺が選んだの。

でもアレだね。この企画、同い年同士で繋がない方か良いかもね。曲被るもん。現にヅッカが選んだガンズの「Welcome to the Jungle」とPrimal Screamの「Movin‘ On Up」、あれ絶っっ対に俺の方が好き。

―(石)そうなの!?

アルバム『Screamadelica』全体とか、「Loaded」とか「Higher Than The Sun」とかは、ヅッカの方が好きかもしれんけど、「Movin’ On Up」の1曲に限っては絶対俺の方が好き。学生の時は毎朝あの曲で目覚ましセットして起きてたもん。

―(石)へえー。意外。もっとアメリカンなものが好きなのかと思ってた。

まあ。その要素もあるんだけどね。でもガンズの「Welcome to The Jungle」、あれも絶対に俺の方が好き。あの発禁ジャケット持ってないでしょ?俺持ってたもん。大学生の時、お金に困って売ったけど(笑)。あと、2002年のサマソニの事も語ってたけど、あの時オリジナルメンバーはアクセル(・ローズ)しか出てないじゃん。俺、昨年の観に行ったからね。スラッシュもダフ(・マッケイガン)も居たヤツ。だからこれは載せて欲しい。ガンズの「Welcome to The Jungle」とプライマルの「Movin’ On Up」は俺の!って(笑)。

―(笑)。ではそろそろ本題に移りましょうか。1曲目は寺尾聰の「出航 SASURAI」。いきなり渋いですね。

これは小学4年生の時に自分のお小遣いで買った初めてのシングルレコード。尾道の本通りを入ってすぐのレコード屋でね。で、若い人は分かんないかも知れないけど、当時1981年に出た「ルビーの指環」が大ヒットしてね。それと同時にその前に出てたシングルの「Shadow City」と「出航 SASURAI」も一緒に売れて、「ルビーの指環」と一緒にチャートインしたの。で、その3枚の中で一番地味だった「出航 SASURAI」が何故か一番好きだったんだよね。ほんと、ずっと聴いてた。

―シブいですよね。

シブいよね(笑)。自分でもなんでこの曲に惹かれたのか分かんないんだけど。でも、子供心に高いお金出してシングル盤買った、っていうのもあって、B面の「ダイヤルM」もいっぱい聴いたんだよ。で、その「ダイヤルM」聴いてびっくりしたのが、「トゥ~ルル~トゥル~ルル~ルル~♪」って始まる所。何でかって言うと、寺尾聰って「ルビーの指環」で二年の月日が流れ去ったあとにも「トゥ~ルトゥルトゥ~ルトゥルトゥ~ルトゥルトゥ~♪」って歌ってて、その次に売れた「Shadow City」でも「トゥトゥルルン~トゥトゥトゥトゥルル~ン♪」って歌ってて、で、その「ダイヤルM」聴いた時にまた「トゥ~ルル~♪」で始まったから、子供心にこの人「トゥル」ばっかり言ってる!って思って(笑)。それが凄いびっくりしたよね(笑)。

―あれって「ルビーの指環」だけじゃなかったんですね(笑)。

うすうす気づいてはいたけどね。「トゥル」好きなのかな~って。
で、大人になってこの曲が入ってるアルバムの『Reflections』を買ったんだけど、アルバムの曲順だと「ルビーの指環」、「Shadow City」って続くの。だから「ルビーの指環」で「トゥ~ルトゥル♪」で終わった後に「Shadow City」がまた「トゥトゥルルン~♪」で始まるっていう。でその後に「予期せぬ出来事」っていう曲が入ってて次に「ダイヤルM」が入ってるから、この「予期せぬ出来事」が無かったら全部「トゥル」で繋がるっていう(笑)。『Reflections』はトゥル3部作が入ってるアルバム(笑)。
でもこのアルバム、日本のAORの名盤って言われてるよね。

―ディスクガイドとかにもよく載ってますよね。

あと、「ルビーの指環」って作詞が松本隆なんだけど、彼が最初に寺尾聰にあった時に、同世代のシンパシーみたいなのを感じて、この曲の詞が出来たらしいの。最初の「くもり硝子の向こうは風の街」っていうフレーズが降ってきたらしくて。で、「風の街」っていうのは「風街(ろまん)」じゃん。そこで松本隆の風街の世界観とリンクするっていう。更に言うと、『風街ろまん』って1971年の作品で、その10年後に「ルビーの指環」が発表されるんだけど、松本隆のインタビュー読むと、はっぴいえんどの頃は質的にはやりきった、質的な満足感は得られたんだけど、自分が歌謡曲の世界に入って、「今度は量的な満足感を得たい、質じゃなくて量だ」、ってなったらしいの。そうなった時に、10年後の圧倒的なセールスを誇った(=量の)「ルビーの指環」が生まれるっていう。色々繋がってるでしょ。

―(一同)へぇーー。面白いですね。

もう俺この曲だけで良いんじゃないかな(笑)。かなり尺とったでしょ。

―とりましたね(笑)。

そう、だから寺尾聰は初めて買ったアーティストでもあるんだけど、大人になっても楽しませてくれる方というか、そんな感じだね。今の人にとっては『陸王』のソウルのシルクレイを作ったり、アイスのPARM(パルム)食べる人になってるけど、俺にとっては「トゥル」の人だからね。


―次はW.A.S.P.の「悪魔の化身(I Wanna Be Somebody)」ですね。

(MV見ながら)ダセえー!ダサいね。でも見て欲しいのはココね、メンバーの腕にノコギリの刃が付いてるっていう。丸ノコの刃が(笑)。

―おお~。ほんとですね。

これは中学生の時に出会って、そこからメタル一色になってしまうんだけど。W.A.S.P.に出会うまではさっきの寺尾聰の流れを見てても分かると思うんだけど、従兄の影響で割とフォークとかのゆったりとしたのを聴いてたんだよね。生まれて初めて行ったコンサートもさだまさしだったし。で、ある日友達が家に遊びに来てて、ラジカセで俺の好きな曲を流してたんだよね、ボリュームを3か4にして、当時のニューミュージックだとか。そしたらその友達が「何聴いてんだよ、これ聴こうよ!」ってセットしたのがこのW.A.S.P.の『魔人伝』のカセット。そいつがテープをセットしてボリュームをフルテンにして再生した瞬間にこの曲が流れてきて。ウワ”--ッ!てなって、こんなうるさい音楽があるんだ!って思った。

―まさに「出会い」ですね。

そこからはもうビジュアルで入っていくようになったよね。当時雑誌の『BURRN!』が創刊してその時にW.A.S.P.も激推ししてたから、日本では異常に人気があって。でも、彼らが出てきた時の衝撃は、俺らの上の世代がKISSに受けた衝撃と似てるってよく言われるよね。だって、(腕を見せながら)ここにノコギリ付いてるんだもん(笑)。「Animal(Fuck Likea Beast)」っていう最低な曲名のシングルのジャケではトラ柄のパンツの股間の部分にノコギリ付いてるし。他にはステージ上の演出で半裸の女性が磔にされて血流してたり、メンバーの肩からパイプが出ててそこから煙が出たり。小学生の頃は大学生の従兄の部屋に貼ってあるKISSのポスターが怖いくらいだったんだけど、自分が中学になったら、まったく同じようなモノにハマるっていう。

―(石)でも当時は周りもそうだったよね。

そうだね。でもこれがきっかけでハードロックまで遡って聴くようになったもんね。それまでは、雑誌も『ミュージック・ライフ』を読んでたんだけど、『BURRN!』を買うようになって。でも、住んでたのが田舎だから自分の通学路には途中に雑誌買えるような本屋なんか無いわけよ。だから毎月発売日の5日に母親に買ってきて貰ってた。うちの母親は数年間に渡ってヘビメタの雑誌を尾道の本屋で毎月発売日に買い続けたっていうね(笑)。

―(笑)。

その流れでMichael Schenkerや、そのルーツ的な作品も遡って聴いていったよね。「Led Zeppelinは『』が良いらしい、とか、Deep Purpleは『Machine Head』を聴け」、とか雑誌に教わったというか。あと、LOUDNESSとか44MAGNUMEARTHSHAKERとかのジャパメタも聴いてた。ジャパメタ行くと引き返せなくなる、ってよく言われてたけど(笑)。この時代からBon JoviとかWhitesnakeがドンと売れてメタルブームが日本でしばらく続くんだよね。でもやっぱり一番好きだったのはガンズ。スラッシュもダフもいた昨年のライブは我慢できなくて行っちゃったもん。アクセルしかいなかった2002年のサマソニを語るヤツとは違うよね(笑)。


-3曲目はThe Street Slidersの「Boys Jump The Midnight」。この頃ってもうバンドをやられてたんですか?

友達と組んでRED WARRIORSとかZIGGYとかのコピーバンドやってた。あと同時期に、それまでヘビメタやハードロックオンリーだったのが、だんだん他の音楽も聴くようになって、それにちょうど世のバンドブームが重なってった時で。雑誌の『ROCKIN’ON JAPAN』も大判で創刊されたんだよね。スライダースに関して言えば、この頃出たアルバムの『天使たち』に入ってる「Special Women」とかが深夜のテレビの『ミュートマ』でガンガン流れてて。他のバンドは解りやすかったんだけど、スライダースは分かりにくくて、そこが面白くて。で、この時点では俺まだローリング・ストーンズを聴いてないんだよ。ストーンズを知らないまま、要はオリジナルを知らないまま「こんな感じのロックって何なんだろう?」「このリフって何なんだろう?」って思ってた。
(ライブ動画を観ながら)このHARRYと蘭丸の二人のユニット名がJoy-Popsなんだよね。で、RED WARRIORSとかZIGGYのコピーバンドをやりつつ、スライダース好きな友達と二人でアコギのユニットも組んで。ユニットの名前をPoy-Jops(ポイ・ジョップス)っていう名前にして(笑)。田舎の高校生ならではのネーミングだね。

―良いエピソードです(笑)。そのユニットでやるのはスライダースの曲だったんですか?

スライダースの曲もやったし、その友達が曲も書ける奴だったから、ちょこっとオリジナルもやって。

―へえ、凄いですね。

そしたら、その(オリジナルの曲を書ける奴がいるっていう)話が野球部の友達の所に行って、「作詞したから、これに曲を付けて欲しい」っていう依頼がその友達から来て。で、その詞は今でも覚えてるんだけど、
〈今日の僕はどんな風(かぜ)だろう 明日の僕はどんな風(かぜ)だろう〉
って書いてあって。確かにスライダースにも「風が強い日」っていう曲あるし、ボブ・ディランの事も浮かんだし、何か不思議な歌詞だなあ、と思いつつ曲を付けて歌ってテープに吹き込んだんだよね。
で、その野球部の友達に「こんな感じになったんだけど」って聴かせたら、「ありがとう。メロディーが付いててすげえ嬉しかったんだけど、あれ〈明日の僕はどんな風(ふう)だろう〉なんだよ。風(かぜ)じゃなくて風(ふう)なだんよ」って言われて(笑)。2人して風(かぜ)じゃないの!?って(笑)。当時はファジーって言葉が流行ってた時代だからね(笑)。

―あいまいな感じですね(笑)。

でもスライダースは当時尾道から鈍行列車に乗って広島市内までライブ観に行ったもんね。オレンジのペイズリーのシャツ着て(笑)。当時の自分なりの一番サイケな服。オレンジのペイズリーのシャツにピタピタの黒いズボンね(笑)。


ー4曲目はThe Beatlesの「Something」ですね。
これはね、自分が中学生の時に家をリフォームして、広くなった自分の部屋に親父のステレオセットを置いて良いよ、っていう事になって。ウチの親父は建具店をやってたんだけど、音楽もめちゃくちゃ好きで、ジャズと島倉千代子をこよなく愛する人だったの。マイルス(・デイヴィス)の『Kind ofBlue』のLPの横に『島倉千代子デラックス』みたいなのが普通に並んでるような、よく分からない感じの音楽性だったんだけどね(笑)。

―面白いですね(笑)。

で、それまで部屋で小さなラジカセで音楽聴いてたんだけど、でっかいスピーカーとアンプとレコードプレイヤー、カセットデッキが来る事になって。ある日、学校から帰ると自分の部屋にもうステレオセットが置かれてるの。で、そこに一緒に置かれてたのがビートルズのベスト盤のLPだったの。親父のプレゼントで。

ーへえー。赤盤・青盤とかですか?

いや、東芝EMIかな?日本独自で出してた編集盤だったと思うけど…白いジャケの。初期の曲から最後の作品の曲まで入ってたからなあ。あれ何の括りだったんだろ。でも、親父は息子に何か
LPをプレゼントするのにビートルズを選んだんだろうね。それがきっかけでビートルズをちゃんと聴くようになった。元々小学生の頃にやってたテレビ番組の『突然ガバチョ!』で「A Hard Day’s Night」が使われてて、曲の頭のギターのコードが面白いなあ、って思ってたから、「あ、あの曲も入ってる!」ってなったし。

―ビートルズあるあるですね。

その後、高校生になった頃に全アルバムを網羅したCD-BOXが発売されて。俺はこれを買わなきゃいけない!!って思って、母親に「今これを買っとかないといけない!」ってよく分からない理由をつけて、お小遣い前借りして買ったの。そのBOXセットは今でも持ってるからね。バンドロゴのテレホンカードも付いてたんだけど、それもそのまんま取ってある。そっからずっと聴き続けてるね。

ーそれ価値上がってそうですね。

でもね、ビートルズは今でもリマスター出たら買っちゃう。基本的にコレクターではないんだけど、数年前に出た赤盤・青盤のリマスター盤とか、アメリカ盤のCD-BOXセットとか。あれ、例の〈ブッチャージャケット〉のヤツが入ってるから。買っちゃったんだよねえ。

―「Something」を選んだ理由は何かあるんですか?

選んだ時の気分だね。変な意味じゃなくて、ビートルズなら何でもよかった。でも(この曲が入ってる)『Abbey Road』は元々好きかな。そういえば、高校の頃に付き合ってた彼女に『Abbey Road』をプレゼントしたの。「これ、俺の好きなアルバムなんだ」って言って。中でも自分は「Oh!Darling」がその当時好きだったんだけど、これって男が女に激しくフラれる歌なのよ。で、『Abbey Road』をプレゼントした直後にほんとにフラれた(笑)。

ーえ~!!

しかもその後すぐに修学旅行があって。カップルとかで一緒に行動したりするじゃん?もう全然楽しくなくて。移動のバスの中ではひたすらガンズの『Appetite for Destruction』聴いてた(笑)。


ー5曲目は岡村靖幸の「いじわる」ですね。この頃って周りに岡村靖幸好きな人っていたんですか?

男なんだけど一人熱狂的に好きなヤツがいて。そいつの影響で聴くようになった。で、この「いじわる」って2ndの『DATE』ってアルバムに入ってる曲なんだけど、歌詞がド下ネタなんだよね。

ーそうですよね。

当時のクラスの大半が久保田利伸派で。岡村ちゃんと久保田利伸どっちがファンキーか、みたいな話でよく盛り上がってた(笑)。でもこの頃って、実はファンクの定義とかもよく分かってないんだよね。だから、PRINCEより先に岡村靖幸を聴いてるし、ましてやP-FUNKとかBootsy Collinsとか知らなかったし。ファンク自体をよく分かってないんだけど、今思えば、これがファンクっぽいものとの出会いだったのかな、って思う。
(ライブのビデオを観ながら)このちょっと気持ち悪いMCも含めて大好きだったね。

ーパフォーマンス、今見ても凄いですよね。

当時から自分でシンガーソングライターダンサーって言ってたからね。踊りも凄かったし、当時はこんなにエロい歌を歌って良いんだ、っていう衝撃もあった。特にこの曲の最後のセリフ調になってる5行分位の歌詞は高校の時は空で言えたもん。(この時も一字一句間違えず言えてました!)
あと、1stはちゃんとしたSSW作品で、2枚目から何かおかしくなりはじめて(笑)、3枚目で遂に作詞・作曲・編曲・演奏・プロデュースを全て一人でこなした、要はプリンス・スタイルになって行くんだよね。こっからプリンス聴くようにもなったんだよね。

ーこんなアーティスト、後にも先にも出てきてないですもんね。

で、自分がRCCに入ってアナウンサーになった直後、まだ自分の番組も何もない頃に、深夜のラジオの生放送番組に岡村靖幸が来るらしいって話を聞いて。それまでコンサートも行った事ないし、当然生でも見たことなかったから、仕事もないのに、当日岡村靖幸が来そうな時間までずうっと残ってて。一目姿を見たいけど、自分の番組でもないし、入社したばっかの頃だったから、(収録の様子を)見せて下さいとも言い出せず、ひたすら局内の廊下をウロウロしてた(笑)。どっかから来るんじゃないか、と思いながら。ラジオのスタジオの前とか往復して(笑)。で、ウロウロしてたら、局のエントランスに置いてあるピアノが突然鳴りだしたの。聴いたこともない、アドリブでメロディも歌ってるような弾き語りの曲。

―(二人して)おおお!!

で、フッとその演奏が終わって、スタジオ前の廊下に繋がってる扉の方を見たら、不意に扉が開いて、スタジオに入っていく岡村靖幸が見えたの。でもその頃って少し体が大きくなり始めてた時で。超デカかったね(笑)。

ーそのピアノ演奏の曲はオンエアされたんですか?

いや、ただ待ち時間に弾いてただけなんだよね。でもめちゃくちゃ綺麗な曲だったよ。


ー6曲目はElvis Presleyの「That’s All Right」ですね。これもう大学生の頃ですか?

そうだね、修道大学入って、ウエスタン部っていうサークルに入って。修道大学って昔から音楽サークルがたくさんあって、音楽の流行にあわせてどんどん色んなジャンルに枝分かれしていった歴史があるの。ビッグバンドでジャズをやる軽音楽部、ハワイアンをやるハワイアン部、ウエスタン部、っていう風に。で、それとは別に自分たちでオリジナルの曲をやるフォークソング部、ハードロックやヘビメタをやるロックアンサンブル同好会があって。ウエスタン部は当初はカントリー&ウエスタンをやるサークルだったんだけど、だんだんとその定義が変わっていって、俺が入った頃には、「アメリカ人が作った曲ならOK」って事になってた(笑)。で、俺が入学した時に先輩たちがエルヴィスの曲をやってたんだけど、それが滅茶苦茶カッコよくて。音スカスカだし、ギターも歪んでなくてクリーンだし、「ああ、速弾きとかじゃなくて、こんなにカッコいいカントリー&ウエスタン的なギターの上手さってあるんだ」って思ったの。その先輩たちに影響されてエルヴィスを聴いていくようになったね。

ー大学のサークルってそういう面白さがありますよね。

そういった音系サークル同士でも交流があって、友達になったりするんだけど、やってる音楽がそれぞれ違うし、みんな「これが好きだから」っていうのでは無くて、ある程度そのサークルの縛りの中でやってたりとかして。だからジミヘン好きなヤツがジャズのバンドで管楽器吹いてたりとか、Jeff Beck好きなヤツがハードロックやってたり、Morrissey好きなヤツがサンハウスとか外道のコピーやってたり。みんなが音楽を教え合ってる感じだったな。

ー面白いですね。

でもエルヴィスってもちろん世界的な評価は得てるけど、俺たちの世代って過小評価じゃなかった?

―(石)完全にそうだね(笑)。

太ってて服の袖にヒラヒラ付いてて、ドーナツ食べて死んだ人(※エルヴィスは暫くの間ドーナツの食べ過ぎで死に至ったという事になってましたが、本当の死因はまだ明らかになっていません。)みたいな扱いになってたけど、昔の映像とか観てても本当にカッコいい曲あるんだよね。当時は「安佐南区のプレスリー」を目指してたから(笑)。
そういえば「上を向いて歩こう」で、作詞の永六輔さんが最初怒ったっていうあの坂本九さんの歌い方(語尾をリフレインさせるような独特の歌い回し)は完全にプレスリーの歌い方から来てるんだよね。作曲した中村八大さんが、九ちゃんがプレスリー好きなのを知ってて、譜面もそういう風にしたらしくて。

―へえー。知らなかったです。。話が少し戻りますが、当時から音楽サークルって人気だったんですね。ハワイアンで一つの部ができるっていうのも凄いですよね。

そうだね、結構人数もいたんじゃないかな。でも面白いのが、(ウエスタン部の)みんなもビートルズとか好きだから、ビートルズの曲をやりたいんだけど、アメリカ人が作ったモノっていう縛りがあるから、ビートルズがカバーしてたアメリカ人の曲、を探してやってたの。Larry Williamsの「Dizzy Miss Lizzy」とかChuck Berryの「Rock and Roll Music」とか。でもそれってよく考えると、殆ど黒人が作った曲なんだよね。もう全然カントリー&ウエスタン関係ないっていう(笑)。Little Richardとかもやってたし(笑)。


ー7曲目はOtis Reddingの「Try A Little Tenderness」のライブ版ですね。これもウエスタン部からのルーツ的な流れからですか?

その流れじゃないんだよね。これはね、さっき言ってたスライダースのライブで買ったツアーパンフにメンバーが好きなリズム&ブルースのレコードがいっぱい紹介されていて、高校生ながらそれを聴いてみようとして。でも尾道じゃ手に入らないタイトルばっかりだったから、神戸の短大に進学した姉ちゃんに向こうの輸入盤屋で買って貰うよう頼んだの。ジャケとアーティストとタイトル、分かるものはCDの品番を伝えて。それで何枚か送られてきて、当時はそれでBo DiddleyとかChuck Berryを聴いてた。で、そのツアーパンフのメンバー紹介盤にオーティス・レディングも載ってて。スライダース好きの友達のお兄さんがブルースやリズム&ブルースが好きでオーティスのレコードも持ってたから、その友達と聴いたんだけど、当時は良さが全然分かんなくて。「スライダースの方が全然カッコいいじゃん」って。

―分かります(笑)。

でも、大学生になってレンタルCD屋でバイトし始めて、ある日のバイト終わりにオーティスの『LiveIn Europe』を聴いた時に初めてその良さが分かって。昔分かんなかったものが大学生になって聴いた時に「無茶苦茶カッコいい」って思えて。
(「Try A Little Tenderness」の中盤のボーカル/演奏が共に盛り上がる部分を聴いて)で、この部分を聴いた時に「ああ!(忌野)清志郎さんが〈ガガガガ〉言うのってこの人の影響だったんだ!」っていうのが分かったんだよね。ここから昔のリズム&ブルースやソウルが大好きになった。当時はどちらかと言えば〈Motown〉よりも〈Stax〉系のをよく聴いてたなあ。あとこのライブ版、最後なかなか終わんないトコも好きなんだよね(笑)。

―終わらないですね(笑)。

でもこの『Live In Europe』のバージョンはまだ短い方なんだよ。何回も出てくるJBの”マントショー“みたいだよね。あとこのライブ盤、ビートルズの「Day Tripper」とかストーンズの「Satisfaction」もカバーしてるんだけど、これはストーンズのメンバーも俺たちのバージョンよりかっこいい、って言ってる位だからね。The Temptationsの「My Girl」もカバーしてて、そこから、「いい曲は同時代にすぐカバーする」ソウルの面白さも知ったり。この曲、あの人もこの人も歌ってる、とか発見があって。ソウルミュージックはスタジオ盤よりライブ盤の方が好きだね。オーティスのこのアルバムもそうだし、Sam Cookeの『ハーレム・スクエアー・クラブ 1963』とかDonny Hathawayの『LIVE!』、あとJBの『Live At The Apollo』も。


―8曲目は斉藤和義の「青春ラジオRCC」です。

これはもうアナウンサーの仕事始めてて、夢だった音楽番組の仕事をテレビやラジオで持てるようになってた頃で。アーティストのインタビューをしていく中で、初めて斉藤さんのインタビューをする事になったんだけど、その時の斉藤さんってそんなに積極的に喋る感じじゃなくて(笑)。何聞いても「うん、そうだね」位の感じで。インタビュアーがよくする決まりきった質問をしても話が盛り上がらなかったりして、でもだんだんとそれが楽しくなってきて。ああ、もう自然体で話そう、と思って。「今日のジーパンいいですね」とかごくごく自然な会話をするようになったら斉藤さんもどんどん喋ってくれるようになって。

ー確かに、斉藤和義さんって飾らないイメージあります。

ミュージシャンとしてももちろん大好きなんだけど、人としてもその自然体な感じに惹かれてる部分も大きくて。仕事のインタビューってどうしても決まりきった流れになりがちで、例えば「今回のアルバムの聴き所は?」「このアルバムを引っ提げたツアーが決まってます。最後に広島の皆さんにメッセージをお願いします!」みたいなのがハマるアーティストもいるんだけど、何かもっと別の、自然体で会話してるようなインタビューができれば良いなあ、って思わせてくれたのが斉藤和義さんなんだよね。そこからアーティストにインタビューする時の聞き方が自分でも変わったって思うし…。
で、そこからプロモーションの度に番組出て貰うようになって。2004年位かなあ、斉藤さんが『青春ブルース』ってアルバムをリリースした頃のRCCラジオのキャッチコピーがたまたま「青春ラジオRCC」っていうので、その事を本人に伝えたら斉藤さん自身も「今、青春って言葉が好きなんだよね」って話してくれて。で、思い切ってステーションジングルの作成をお願いしたら了承してくれて。

―それがきっかけなんですね。

広島らしい「川」「カープ」「お好み焼き」っていうキーワードも全部歌詞に盛り込んでくれて、すげえ良い曲になってたの。で、そういう曲が出来た事以上に嬉しかったのが、斉藤さん自身がその曲をすごく気に入ってくれて、そのまま音源化してシングル(『FLY~愛の続きはボンジュール!~』)のカップリングに収録されたの。あと『Collection“B”1993~2007』っていうBサイドコレクションにも。

ー歌詞もそのまんま、タイトルも「青春ラジオRCC」のまんま入ってるんですね。

そうなんだよ。当時、フラワーカンパニーズやトータス松本さんにも「青春ラジオRCC」っていうキャッチフレーズを入れてジングルを作って貰ってて、中にはそれを音源化してる方もいるんだけど、みんな「青春ラジオRCC」の箇所は他のフレーズに変えてるの。でも斉藤さんだけはそのまま入れてるっていう(笑)。その位気に入ってくれたみたいだね。

―依頼した側としても嬉しいですね。先述のインタビューは『秘密の音園』(※2)で行ったやつですか?

いや、テレビ番組の『壺』(※3)が一番最初かな。

―『壺』!!懐かしいですねー。

インタビューで盛り上がったのも、ヘビメタやハードロックの話で。斉藤さんは「宇都宮の高崎晃」って言われてたらしくて(笑)。ああ、俺ヘビメタやハードロック聴いてきてよかった!って思えたよね。

※2『秘密の音園』…青山さんがパーソナリティを務めた、RCCラジオのリクエスト型バラエティ音楽 ラジオ番組 。2001年から2012年 まで毎週火曜日から金曜日に生放送されていた。因みに2008年に青山さんはこの番組でギャラクシー賞のラジオ部門・DJパーソナリティ賞を受賞されてます。
※3『壺』…こちらも青山さんがパーソナリティを務めた、RCCテレビの音楽番組。2000年
から2006年まで、毎週日曜の深夜に放送されていた。


ー9曲目はThe Rolling Stonesの「Doom and Groom」ですね。これ当時久しぶりの新曲だったんですよね。

そう。ストーンズファンからしたらこの曲かい!ってなるかもね(笑)。でもカッコいいんだよ、やっぱ。これ、今出てるスタジオ音源の中では一番新しいオリジナル曲で、3枚組の『GRRR!』ってベスト盤が出た時に収録されてた新曲なんだよね。一昨年の『Blue & Lonesome』は全編ブルースのカバーだったし。で、このアルバムリリースした後の2014年の来日公演に行ったの。初めてのストーンズを見に。

ーどこでやったやつですか?

東京ドームだね。「ローリング・ストーンズを観に行くんで会社を休ませてください」って言って(笑)。当時「日々感謝。ヒビカン」っていう生放送のラジオ番組を平日にやってたんだけど、それを休んで見に行った。

ー凄いですね(笑)。

番組プロデューサーに相談しながら、「僕今までプライベートな理由で会社に休みを申請した事なくて、番組もずっと休まずやって来たんですけど、ストーンズを見たいんで休んでも良いですか?」「もうこれが最後かもしれないんです!今まで一回も見た事なくて、ここで見といたら、今後のアナウンサー人生にも良い影響があると思うんです!」って色々説得して。そしたら「じゃあ行ってこい」と。

ーへえー。

平日に休んで行かせて貰った。で、その時のライブで感じたのは、もちろん過去の名曲とかもやるんだけど、こんだけキャリアがあって新曲がカッコいいって凄い事だなと。現在進行形ってほんとにあるんだな、って思ったよね。
で、結果もう完全に子供(笑)。普段ライブに行ってもどっちかというと後ろの方で腕組んで「うんうん」って見る方なんだけど、この時は一人で東京ドームに行ったのに、大声で「ミックーー!!」「キースーー!!」(笑)。ライブで初めてメンバーの名前を呼んだね(笑)。

ー良い話じゃないですか。

で、東京に行く前日の晩、いよいよ明日ストーンズを見に行く!って日の前日の晩ご飯に肉じゃがが出てきて。「ひょっとしてこれは…ミック・ジャガーにかかってんのか?」って思って「今日肉じゃがなんだ?」って聞いたら(奥さんが)「ああ、うん。肉じゃが」って普通に返してきて。たまたまの偶然だったんだけど(笑)。でもそれ位ワクワクしてたんだよ、遠足に行く前日の子供みたいに。これは今でも人生でベストのライブだったかな。


ー最後の曲は二階堂和美の「めざめの歌」ですね。

ニカさんの歌なら何でも良かったんだけどね。それこそ『にじみ』は本当に捨て曲なしだったし。何となく今の気分で選んだ曲かなあ。

ーニカさんとの最初の出会いは何だったんですか?

最初はラジオ番組に出てもらった時かな。その後8月6日の平和公園で歌ってもらったり、定期的にゲスト出演してもらったり。スタジオでスタッフが(ニカさんの)お子さんをあやしながらニカさんにラジオに出てもらった事もあるし。

ーニカさんらしいエピソードですね。

でも放送局の仕事をしていくうちに、広島に二階堂和美が居るっていう事の凄さをどうやって伝えていけばいいのかなあ、とか考えるようになって。ミュージシャンの一つの在り方というか、圧倒的な才能を持っている人がこの街に住んでて。東京じゃなくてもいいものは創れるんだ、って周りに見せてくれる人だと思うし、それを地元がサポートしなきゃいけないとも思うし。それこそ、5月27日に開催される〈LIVE GREEN〉をステレオレコーズの神鳥君と一緒にやっていく中で、そのイベントをやる意味も含めて、広島にニカさんが居る事の意味みたいなものを伝えていけたらなあ、と思ってるね。

ー宜しくお願いします。

あとニカさんにインタビューした時に印象的だったのは、曲を作る時に詞先で曲先でもなく「言葉とメロディを出すのが同時」っていうエピソード。「その言葉が持っているメロディ…本来その言葉にはそのメロディしかないというフレーズを探る」って聞いて。それも凄いなあと。「この世のすべてはどうにもならない それでも生きる わたしは生きる」(「めざめの歌」の一節)っていうフレーズもシンプルなのに強い言葉とメロディだもんね。井上陽水さんも詞と曲が同時らしいけど。

ーそれは聞いたことないパターンですね。

でもニカさんの音楽始めるきっかけは高校の時にガンズのコピーバンドのボーカルに誘われた事なんだよね。あの七色の声はアクセル・ローズの低音から高音まで出すスタイルにルーツがあるのかも。だから俺はガンズの「Welcome To The Jungle」を入れたかったの(笑)。あれは俺が欲しかった曲(笑)。


 

青山高治
1972年生まれ。広島県尾道市出身。尾道北高校でレンタルCD漬けの日々を送り、広島修道大学に進学後はレンタルCD店でアルバイト。謎の音楽サークル「ウエスタン部」ではギターボーカルを担当。卒業後1994年にRCCにアナウンサーとして入社。深夜の音楽系テレビ番組「壺」「ブルマン」などを担当。ラジオ番組「秘密の音園」」で第45回ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞。「日々感謝。ヒビカン」で第50回ギャラクシー賞ラジオ部門大賞。現在はテレビ「イマなまっ!」(毎週月~金15:00~16:50)を担当中。野球中継のないオフシーズンにはラジオ「金曜ビート」(毎週金曜17:47~20:30)も放送。趣味は平均年齢48歳のおじさんバンド活動。