ミュージックポートレイト、最新回の更新です。前回のゲスト、RCCアナウンサーの青山高治さんからのバトンを受け取ったのは、広島の映像制作会社に勤務する「ボンバー石井」こと石井豊さんです。アラサー世代以上の広島県人なら知らない人はいない、かつて広島の音楽シーンやメディアを賑わせていた生粋の音楽人です。先日メルカリで買ったというギターのエフェクター(Electro-Harmonix の Deluxe Memory Man)や、好きなギタリスト、最近使ってるギターの雑談から始まったインタビュー、相当アツいです。まずは本編の前にこちらをご覧ください。
ーでは1曲目、The beatlesの「Let it Be」からですね。
やっぱりこのイントロのピアノを聴くだけでいまだにガツンとやられるというか、当時の事を色々思い出してしまうんだよね。これ、当時NHKでやってた『わが美わしの友』っていうドラマで使われてて。主人公がビートルズが好き、みたいな設定なんだけど、死んだおじいちゃんの為に主人公の男の子が部屋から大音量で「Let it Be」を流すっていうシーンがあって、えらく感動したのを覚えてる。
で、当時確か小学3年生だったんだけど、街に出た時に親にお願いしてこの『Let it Be』のアルバムを買って貰ったの。家にあった卓上のプレーヤーでずっと聴いてた。
―この曲が初ビートルズの楽曲だったんですか?
ですね。同時に音楽に目覚めた曲でもある。でも、当時小学校にいって「ビートルズがええんじゃ!!」って言って同級生に推しても、なかなか分かってもらえなくて。むしろ女子の間では〝ずうとるび〟の方が人気あって、「ビートルズってずうとるびのマネじゃん!」とか言われて、「違うんじゃ」って必死に説得してた。
―この後、初期の方まで遡って聴いたりしたんですか?
シングル盤とかは時々買って貰ってたんだけど、やっぱり小学生のお小遣いじゃアルバムは買えなくって。だから、お金がない人は常にベスト盤を買うっていう法則に則って、当時出た「赤盤」「青盤」を買って貰ってよく聴いてた。どっちかというと「青盤」派で、小学生ながら中期から後期にかけての音が好きだったんよね。
大人になってからだけど、ビートルズはジョン以外3人ともライブ行ったね。ポールは福岡に観に行って、ジョージとリンゴはそれぞれ広島に来たやつで。
―ジョージ羨ましいです(笑)。すこし話は変わりますが、小さい頃はどんな少年だったんですか?
やたら背がデカかったね。小学校卒業する時にはすでに170cmあった(笑)。
―170!?スゴイですね。
とにかく牛乳はよく飲んでたね(笑)。スポーツはバリバリやるタイプではなかったんだけど、家の近くは田んぼばっかりだったからいつもそこで駆けずり回ってた。あとは親父に連れられて近くの川で釣りをしたり。竹やぶで細い竹を選んで枝打ちして乾燥させて釣り竿にして、乾いたら田んぼで捕まえたミミズを餌にして釣ってた。で、釣ったハヤとかをウロコ取って内蔵取って素揚げにしておやつにする、みたいな。
―2曲目はYELLOW MAGIC ORCHESTRAの「東風」ですね。
これは中学校に入った頃かなあ。その頃になると友達の幅も一気に広がって聴く音楽もどんどん広がっていって。NHK-FMで「サウンドストリート」をやってて、TVでは「ベストヒットUSA」が始まった時代。今では考えられないけど、動いてる海外アーティスト見れるだけで当時は感動モノだったからね。
―ラジオやテレビ以外だと、どういう環境で音楽を聴いてたんですか?貸しレコード屋とか行ってました?
ないない(笑)。ウチは田舎だったからそんなの無かったよ。レコードが沢山ある友達の家に行って聴くとか、学校の昼休みの時に校内放送でレコードかけるとか、せいぜいその位だった。中学の時にバンド始めたんだけど、バンド仲間の家にレコードが沢山あってそこで何でも聴けたんだよ。覚えてるのは、The Police、Queen、Van Halen、Sam Cooke、Otis Redding、Eric Clapton、Led Zeppelin、アナーキー、佐野元春、柳ジョージ&レイニーウッド、RCサクセションとか。でもね、その中でもYMOは衝撃だったんよね。「なんじゃ!この音楽は!?」っていう衝撃。テクノっていう音楽自体知らなかったから。
―周りに同じようにYMO聴いてる子っていたんですか?
バンドメンバー含め、音楽好きな奴で固まってたからね。みんなごった煮で何でも聴く感じだったし、中学から高校にかけて、実際YMO自体がブームになってたもんね。
―ちょうどその頃なんですね。バンドはオリジナル曲をやってたんですか?
いや、中学の頃はまだコピーだね。それこそ柳ジョージ&レイニーウッドとかカバーしてた。昼休憩になるとバンドメンバー皆でサム・クック歌ったり。でも一番最初にギターで練習したのはDeep Purpleの「Smoke On The Water」。弦高の高いアコギで一生懸命練習してた(笑)。エレキはまだ買うお金が無かったから、友達に借りたりして。
―聞くところによると、石井さんの組んでたバンドってコンテストとかでよく優勝するような感じだったんですよね?
ちょこちょこね。何かよく分かんないけど(笑)。高校卒業してからやってたバンドだけど、ヤマハの〈ウエストウェーブ〉っていう大会で中国地区代表になって、中野サンプラザでやったことある。審査員に渡辺香津美さんとかが居るようなデカめの大会。
そこで、ジャズ界のジミヘンって言われてるJAMES BLOOD ULMERってジャズギタリストがいるんだけど、彼の「Black Rock」っていう曲のイントロを拝借してオリジナル曲を作って。「ジャングル探偵団」っていう(笑)。その曲でベストコーラス賞貰ったの。
―凄いですね。。その頃ってギターの技術ってどうやって身に付けたんですか?今みたいにスコアって無いですよね?
完全に耳コピ!あとはコンサートに行ってギタリストの手元をずうっと見るとか。
・・・なんかYMOと関係ない話ばっかしてるけど大丈夫?(笑)
―そうですね。ちょっと戻りましょうか(笑)。
でも確かにYMOからの音楽的な広がりは大きかったかも。そこからスネークマンショーに行くと小林克也さんが喋ってたりするし、シーナ&ザ・ロケッツや当時のニューウェーブにも行けたから。そういえば、シナロケで覚えてるのが、当時の音楽番組か何かで野外のコンサートに彼らが出てて、鮎川さんが最後ステージから転げ落ちるんだけど、それでもまだ転げながらギターを弾き続けるっていう姿がメチャクチャカッコ良くて。その時弾いてたギブソンのレスポール・カスタムの黒いヤツいつか欲しいな、と思いながら未だに買えてないんよね。
―3曲目は Stevie Ray Vaughan and Double Troubleの「Couldn’t Stand The Weather」ですね。この頃って日本含めメタル全盛期ですよね。
そうなんですわ。日本ではLOUDNESS、EARTHSHAKER、MARINO、向こうではJudas Priestとか。俺も色々聴いてたりしてた。当時は皆聴いてたんじゃない?そんな中「ベストヒットUSA」観てたらStevie Ray Vaughanのこの曲に出会って。シビれた!(笑)。「なんじゃこのギターは!!??」って。動くブルースマンを観るのもこれが始めてだったし、それまで聴いてきたリズム&ブルースのギターワークと全く違くて、このカッティングとか鈴鳴りの音とか、めちゃくちゃカッコいいじゃん、って思った。そこからはレコード買って聴きまくったね。
(MV観ながら)でも、このハミルトンの高いギターを水浸しにするのは考えられないけど。普通は(撮影用に)安いギターを使うんだけど、このMV、たぶん本物!(笑)。
―さすがアメリカですね(笑)。そしてこれをきっかけによりブルースに傾倒していくんですよね。
ここから本格的にブルースを掘り始めて。B. B. King、Freddie King、Albert King、Muddy Waters、Little Walter、Ronnie Mac、Howlin’ Wolf、Son House、Robert Johnsonまで、とにかく聴いたよ。自分が好きなギタリストが影響を受けたアーティストは聴かなきゃ、って思ってたから。
―この(Stevie Ray Vaughanの)ギターをコピーしようとしました?
完コピは無理だけど、それっぽくなるようにはした。ただ、これ弦がぶっといんだよね。1弦が013からっていう。半音下げとしてもあんなチョーキングできないよ(笑)。それで言うと「Scuttle Buttin」って曲もヤバいんだよね。もう曲芸レベルなんだけど、これを完璧に弾けるようになったらもう最高だな。
―4曲目はSam Cookeの「Bring It On Home to Me」。このライブ盤(『LIVE AT THE HARLEM SQUARE CLUB 1963』)は名盤ですよね。これってリアルタイムでリリースされたタイトルですか?
そう、これは凄かった。丁度高校卒業して、豆腐屋でバイトしてた頃だったんだけど、レコード買って、針を落とした瞬間に「何じゃこりゃ!!」ってなって。
―スタジオ盤との温度差ですよね(笑)。
それまでサム・クックは中学の頃からず〜っと聴いてて、言ったら綺麗な感じなんでね、スタジオ盤は。でもこのライブ盤からは「(サム・クックって)本当はこんな人だったの!?」って位のとんでもないパワーを感じて。とにかくそれまで抱いていたイメージが完全に覆ったの。あと会場全体のとてつもない熱気ね。King Curtisが率いてるバックの演奏もダイナミックで凄まじいんだよね。
―これはソウル独特というか、黒人にしか出せない空気を感じますよね。
でもこうやって改めて考えるとやってた音楽と聴いてた音楽がバラバラなんだよね(笑)。それこそこの辺のソウルは中学から好きでずっと聴いてたんだけど、やってる音楽はそこまでブラックミュージックじゃないっていう。
あと余談になるけど、この仕事を始めてから知り合ったLeyonaとかトータス松本さんも僕と同じように若い頃からずうっとソウルを聴いてきた人達だからよく話が合うんよね。
―5曲目はScreamin’ Jay Hawkinsの「I Put a Spell On You」ですね。
イントロヤバいよねえ(笑)。当時ジム・ジャームッシュの映画が無茶苦茶流行って、それがきっかけだったと思う。リアルタイムで観た『Down by Law』にトム・ウェイツやJhon Lurieが出ててね。オープニングで流れるトム・ウェイツの「Jockey Full of Bourbon」がカッコ良くて、このギター弾いてるの誰だろう?と思って調べてみたらMarc Ribotだったり。で『Stranger Than Paradise』を観に行ったら(※日本では『Down by Law』と同時期に公開)この曲ですよ(笑)。「こんな曲聴いた事ない!」と思って。
―他のリズム&ブルースの曲とも雰囲気違いますもんね。
リズムがワルツ調の3拍子だしね。映画に出てくるNYも、それまでの摩天楼やタイムズスクエアに象徴されるイメージと全く違ってて。これもNYなんだ、と。そっから僕が行きたいNYはジャームッシュの映画に出てくるNYになってしまって、29歳の時に念願叶って行ったんだよね。映画の舞台になったと思われるビレッジあたりも歩いたよ。アルファベット・シティでは明らかに盗品を売ってそうな露店が出てたり相当怪しかったんだけど。
―(当時石井さんがマンハッタンで撮った写真を見せて貰う)裏のNYって感じですね(笑)。
そしてこの後に、広島で行われたまさかの来日公演を見に行くんですよね。
この曲を知った4年後にScreamin’ Jay Hawkinsが広島に来たんよね。当時アステールプラザに見に行ったもん。ステージ上に棺桶に入ったまま運ばれてきて、中央にそれが立てかけられて、その中から本人が出てくるっていう演出。やっぱ「I Put a Spell On You」はすごい盛り上がってたね。
で、ライブ終わって当日〈Otis!〉で打ち上げがあるっていう情報を入手したんだけど、その日は何だかんだで参加しなかったの。でその次の日、また〈Otis!〉の周りをウロウロしてたら今日もお店に来るって話を聞いて、「じゃあ行きます!」って(笑)。で、先にお酒飲んでたら最初にバックバンドのメンバーが現われて、音出しが始まって。僕もギターで参加させて貰って。
―え…よくその流れになりましたね。自分から参加させて欲しいって言ったんですか?
そうそう(笑)。24歳の時だね。勢いがあった。そこで3曲くらい一緒にやったの。そしたら暫くしてScreamin’ Jay Hawkinsがやって来て。「うわあ、本物だ!」ってなって、でも勇気を振りしぼってブロークンイングリッシュで話しかけたんだよ。「あたなの出演した『ミステリー・トレイン』は最高でした!特にジャパニーズ・プラムを食べるところは面白かったです!」みたいな事言ったと思う。そしたら
「おう、あれは大変だったんだ、リハーサル含めて5回も食ったんだぜ。おかげさまで腹がパンパンさ。でも、俺はジャパニーズ・プラムが嫌いなんだ」って返事が返ってきて、周りは爆笑、みたいな。で、その後に一緒に撮って貰った写真がこれなんだよね。この写真は一生の宝物だね。(この2ショット写真は載せられないので、機会があったら見せて貰って下さい…。)
―次は6曲目。Tom Waitsの「Train Song」ですね。
トム・ウェイツはね、前から知ってたんだけど、22歳の頃、東京に遊びに行った時にちょうど映画の『Big Time』をやってて。劇中の中でも特にこの曲に衝撃を受けた!イントロの語りの部分の内容(※ここでは書けないような内容なので、各自で調べて下さい…。)も衝撃的だったんだけど曲が純粋に良いな、と。スタジオバージョンよりこっちのライブバージョンの方が断然好きでね。こんなピアノの弾き語りができたらどんなに幸せなんだ、と思ってしまう位(笑)。
―この弾き語りは難しそうですね。。割とポエトリー・リーディングっぽいし。
知ってる?トム・ウェイツってピアノの弾き方が独特なんだよ。クラシックピアノ弾く人って、普通卵1個が入るくらいに手を丸めるんだけど、彼は手のひらをペタッと平たくして指が反り返った感じで弾くんだよね。我流で覚えましたって感じで。それであれだけ美しいピアノを弾くという。
―へえ。知らなかったです。
あと、少し脱線するんだけど 僕昔からホーボー・ソングというか放浪系の音楽が好きで。文学だと、チャールズ・ブコウスキーの『町で一番の美女』かな。読んだことある?
―いや、ないんですよ。(10分程度で読める短編だからと言って、その場で読ませて貰う)
この短編、なんか(トム・ウェイツの曲と)共通するものを感じるんだよね。排他的な世界観だったり、一般的には蔑まれている人が主人公だったりする部分で。でも同時に美しさがあって。トム・ウェイツ自身も最初の頃はそうでもないんだけど、ダミ声効果もあってどんどん一般受けはしないだろう感じになって行くじゃん。でもそっちの方が綺麗で美しかったりするのが面白いよね。
あとね、この辺りから(ギタリストの)マーク・リボーが大好きになってって。
―この映画で初めて動くマーク・リボーを見たんですよね?
そう。一回だけ広島にも来た事があるんだよ、エルヴィス・コステロと一緒に。「うわ!生コステロも凄いけど、生マークもすげえ!」みたいな(笑)。今、実はマーク・リボーに首ったけで(笑)、前の「偽キューバ 人たち(Marc Ribot Y Los Cubanos Postizos)」とのアルバムも良かったけど、Ceramic Dog名義のバンドも最高で、最近出たばっかりのアルバム「YRU Still Here?」もぶっ飛んでて素晴らしい。彼は今フェンダーのジャガーを使ってて、僕も影響されて買ったもん。
―7曲目は東京スカパラダイスオーケストラの「スキャラバン」ですね。
スカパラはね、自分の中で別段思い入れのあるアーティストでね。それまでフラフラしてた僕をTSSが拾ってくれて。『朝まで夜ッテレビ』(※1)の音楽コーナーに出ない?みたいな感じで声掛けてくれたのがきっかけかな。
―深夜番組のコーナーを任されたって事ですよね?どういった経緯だったんですか?
『朝まで夜ッテレビ』のなかで「ギター1本勝ち抜き(選手権)」みたいなのがあって。楽器一つと歌で5週勝ち抜いたらPV作ってくれるっていう企画。で、友達と曲作って自分がバンジョー弾いて出たら5週勝ち抜いちゃって(笑)。
―凄いですね。
レコーディングしてPVも撮ってもらってね(笑)。で、その音楽コーナーを担当してたCHOKKAKUさんっていう方がFLEXっていうバンドでデビューする直前で、もう番組に出られなくなって。そのCHOKKAKUさんの後任でやらせてもらったんですよ。CHOKKAKUさんも面白い人なんだよ、SMAPの楽曲のアレンジャーやってたり。
で、その音楽コーナーで初めてインタビューさせて貰った日本のアーティストがスカパラだったの。当時彼らがデビューしたばっかりの頃で、GAMOさん、NARGOちゃん、あと1人が誰だったかな…、TSSの屋上での収録で、GAMOさんに「小象の行進」を演奏してもらった記憶がある。実はその時に初めて〈スカ〉というものを生で体験したんだよね。でもね、今思い起こせば、ホンダのCITYのCMでMadnessが「In The City」の楽曲と一緒に出てたりしてて、ああ、あれもスカだったんだな、って後で気付いたり。
で、そこから〈FESTA de RAMA〉をやってた佐々木さんが初めて広島の新生倉庫にスカパラを呼んで、そこで見させてもらったり。当時からみんなステージで動き回ってて、お客さんも初めてライブ観る人ばっかりだったけど、めっちゃ踊りまくって盛り上がってた。そこからスカパラには度々番組に出て貰うようになったの。
―こないだクアトロであった公演も行きました?
もちろん!「Samurai Dreamers」から始まって2曲目がこの「スキャラバン」で。この曲を聴くと何か昔のいろんな思い出が走馬燈のように蘇ったりしてね。これもデビュー当時の曲だけど、ちゃんと”今の”スカパラを出しててね。最新シングルの「ちえのわ」もすっげ〜曲だし、ニューアルバムの「GLORIUS」の曲も素晴らしい!「純粋に音楽って楽しい!」と思ったライブ体験だったね。あと気付いたのは、お客さんの年齢層も幅広かったって事。それこそ20代の方達から俺世代までね。これだけ幅広い年齢層に支持されるって凄いよね。メンバーチェンジはありながらも30年以上ずっと新しいことにチャレンジして曲をリリースして年中ライブするって凄すぎます。
―常に第一線でやられてますもんね。
ライブでいえば昔『ボンばか』(※2)っていう番組を持ってた時に番組でイベントを打ったことがあって。厚生年金会館でやったんだけど、アクトがスカパラに斉藤和義、Leyona、今野英明、ハナレグミ、Leyonaの妹の世理奈っていうメンバー。僕も一緒にグレッチの6120(64年製)持ってLeyonaと世理奈のセッションに参加するっていう場面もあったな(笑)。
※1.『朝まで夜ッテレビ』…当時テレビ新広島(TSS)が深夜に放送していたバラエティ番組。
※2.『ボンばか』…HFMで石井さんがパーソナリティ/DJを務めていたラジオ番組。
―8曲目はソウル・フラワー・ユニオンとHEATWAVEの「満月の夕」ですね。これはそれぞれのバージョンがあるんですよね。
この曲はね、自分が29歳の時に『ボンばか』が始まったんだけど、ちょうどその頃「阪神・淡路大震災」が起こって。二組とも、震災を受けてこの「満月の夕」を制作したんだけど、ソウルフラワーの方は(震災の)内側から見た事を歌ってて、HEATWAVEの方は外側から見た事を歌ってて。どっちも凄くいい曲なんですよ。例えばふと8月6日の広島の事を考える時や東日本大震災があった時とか、時々自分の中に蘇って来る曲。
―今でも色んなアーティストによってカバーされてますもんね。
ガガガSPやニカさん(二階堂和美)、最近だとBRAHMANがカバーしてるよね。みんなそれぞれの歌い方と解釈でやってるから良いよね。それこそこの曲はずっと歌い継がれていくと思うよ。
―2組とも元々聴いてたんですか?
HEATWAVEの山口洋との出会いは21歳の時にまで遡るんだけど、当時やってたバンドのボーカルの子がヒロシと仲良くて。ライブに連れてってもらった時に、まだデビュー前だったんだけど、凄くカッコ良かったのを覚えてる。叫びながらグレッチのカントリージェントルマンをかき鳴らして、色んな事に文句を言いながら、しまいにはメンバーにも水掛けたりして。当時はめちゃくちゃ尖ってたんだよね。それは衝撃的なライブでね。
ソウルフラワーユニオンの方は、一度RCCでラジオ番組持たせてもらってた時があって、一緒にやってた、おだしずえさんからニューエスト・モデルのアルバム『CROSSBREED PARK』を薦められて聴いたらラテン、カリプソ、アイリッシュトラッド、ジャズまでほんとジャンルをごった煮したような楽曲ばっかりでめちゃカッコ良かったんだよね。特に『乳母車と棺桶』って曲にノックアウトされた
。それまであんまり興味がなかった日本のロックを聴くきっかけになったのがこの2組。HEATWAVEもソウルフラワーユニオンもバンドで活動しつつ、山口洋、中川敬それぞれがソロで全国を飛び回っていて、このライブが人間味があって面白いので、もっと皆にも観て欲しいな。
―9曲目は斉藤和義の「かすみ草」ですね。この歌詞は男にしか書けないやつですね(笑)。
でしょ。これは正に男の失恋ソングですよ(笑)。特に衝撃だったのは歌詞の中の「もしも愛に背丈があったなら君を見上げてしまった」っていう下り。うわあ、ってなった。なんて俺はバカだったんだ、もしかしたらまだ間に合うんじゃないか、みたいに思う事、男だったら皆あると思うんだよね(笑)。
―未練がましい男の歌ですよね。。その斉藤さんとの出会いはいつだったんですか?
斉藤君が3枚目のシングル「君の顔が好きだ」を出した時に『朝まで夜ッテレビ』にゲストで来てくれて、そこでインタビューしたのがきっかけ。同い年で、お互いにジャパメタ通ってて、トム・ウェイツが好きでっていう共通点が多くて、そっから一緒にイベントやったり、飲みに行ったりして仲良くなった。斉藤君は会う度に新しいギターが増えてて(笑)。そんな中でマーク・リボーやロバート・クワインがお互いのキーワードだったんだよね。実際NYで録音した2003年のアルバム『NOWHERE LAND』には2人とも参加してて、その時の話は色々聞かせて貰ったな。そういえば、斉藤君の曲でもうひとつ夢の競演をしてるヤツがあって。『Collection “B”』ってアルバムに入ってるRichard Hell & the Voidoids(ロバート・クワインがギター)の「I’m Your Man」って曲のカバーなんだけど、この曲のギターソロがマーク・リボーなんだよ。Richard Hell & the Voidoidsの曲でマーク・リボーがギターソロを弾いてるっていう(笑)。コーラスがまたフラワーカンパニーズという!これは斉藤君しかできない!
―最後の曲、城領明子の「大阪ニューヨーク」。これは良い曲ですね。
でしょ!あまり知られてないんですけど(笑)。城領さんと初めて会ったのは1999年位かなあ。彼女が当時やってたSLY TRIBESっていうバンドのインストアライブをタワーレコードに見に行ったんですよ。当時Leyonaのマネージャーをやってた人がSLY TRIBESのマネジメントもやってたからそれ繫がりで。で、『ボンバカ』にも出て貰ったんだけど、全然喋ってくれなくて(笑)。キャンペーンとかも含めて、そういう業界的なノリが苦手だったみたいで、「城領さん、これ喋らないと放送事故になるよ」って滾々と説得してね(笑)。でもそこから何か気が合ってね。それ以降も広島来るたびに番組に来て貰ったり、これは絶対合うな、と思って鷹野橋の〈スリムチャンススタジオ〉連れてったら見事にハマったり。マスターの岡ちゃんともすぐ仲良くなって、実はむちゃくちゃよく喋る人じゃん、みたいな。
で、2009年にソロ活動を始めて2011年に出したのがこのシングル曲。SLY TRIBES時代の楽曲とはタッチが違うのも面白いんだけど、彼女の書く曲にすごくリアリティーを感じて。アルバムの紹介文も書かせて貰ったりしたね。これは城領明子というアーティストがソロとして世に出るきっかけになった曲だと思う。そういえば、こないだ松本隆さんのインスタに城領さんのアナログの写真が上げられてたの。
―ほんとですね!金延幸子と一緒に名前が出てるのが凄いですね。ライブも関西圏ですけど色んな場所でやってるみたいですね。
子供がいるからね。週末とか長期休みのタイミングでやってて。でもほんと、他の曲も凄く良いからもっと聴かれてもいいのになあ、って思うんだけど。ニューアルバムも8月に出るし、今後も応援してあげたいね。
あと、近年で面白いなって思うのが臼井ミトン。ジェームス・テイラー好きの東京の「旅する宅録アーティスト」なんだけどアルバムをウィル・リーとかジム・ケルトナーとか、リック・マロッタと一緒に録ったりしてるんだよ。
―へえー。渋い、というか凄い度胸ですね。
自分で機材しょってアメリカ行って、向こうで大御所の人たちを実際に訪ねてから制作・録音に漕ぎつけてるんだよ。ツアー中の今もトリオで日本を回っててドラムを沼澤尚さん、ベースを中條卓さんが弾いてるだよね。秋には3枚目のアルバムも出る予定で、5月19日Otis!のライブでも新曲が聴けたんだけど、今回のアルバムに入ってる曲は「ダメ男」ばっかりがモチーフになってて、中でも一番ダメな男の曲がすっげ〜〜はまってしまった。いまだにダメ男の曲にシンパシーを覚えてしまうんです。(笑)
■石井豊…映像制作会社勤務。ギターとロックと釣りが好きな52歳。「シベリア超特急5」にも出演