私のミュージックポートレイト ~ スピンオフ第一回~ (谷口雄 編)


これまで広島の音楽人を対象にインタビューを敢行してきました「私のミュージックポートレイト」ですが、今回はそのスピンオフ編として、ツアーで来広したとあるミュージシャンの方に出演して頂きました。
記念すべき(?)その第一回は、かつて〈森は生きている〉に在籍し、現在は自身がメンバーである5人組バンド・1983Old Days Tailorを始め、あだち麗三郎平賀さち枝のサポートも務める鍵盤奏者の谷口雄さんに「人生の10曲」を紹介して貰いました。今回は関取花の全国ツアーで広島の地に降り立った谷口さん、実は3年前の当店の周年イベント(Buffalo Daughterとの2マン)に出演して頂いたぶりの広島という事でした。(当時谷口さんがいた〈森は生きている〉がこのイベントで解散を発表、実質上のラストライブになってしまった事は知る人ぞ知るエピソードです。)
ツアー各地でのレコード・ディグに本当に余念がない谷口さん、当店でのディギンのお忙しいさなか、貴重なお時間を割いて頂きました。

谷口雄の10曲
1, Ron Sexsmith / Secret Heart
2, Bonnie Raitt / The Fundamental Things
3, Al Jarreau / Easy
4, Aretha Franklin / Chains of Fools
5, Al Green / How Can You Mend a Broken Heart?
6, The Jayhawks / Blue
7, The Band / The Night They Drove Old Dixie Down
8, Ryan Adams / Oh My Sweet Carolina
9, Little Feat / Willin’
10, Glen Campbell / Wichita Lineman

―1曲目はRon Sexsmith(ロン・セクススミス)の「Secret Heart」。これは1995年リリースなんで…リアルタイムではないですよね?

そうですね。これは中学生の頃かな、ロンセクと次の2曲は自分の中で西荻窪の〈図書館3部作〉って呼んでて。当時街の図書館でCDを借りられるって事が分かって、お小遣いもそんなに無い時だから「これはイイ!」と思って良く利用してました。で、その時は背伸びしてたんでしょうね、ロンセクとボニー・レイットとアル・ジャロウを借りて。よく分かんないまま(笑)。今考えると、全部自分の音楽的趣味に繋がってるんですけど。

―確かに、谷口さんのルーツっぽい感じしますよね。でもこの頃って3人とも知らないですよね?

全く知らなかったです。いや、ビートルズとかストーンズとかも普通に置いてあったんですけど、何か恐かったのかな(笑)?(これを借りて)「いいのか!?」みたいな。で、その3枚をジャケで選びました。

―聴いてみてどうでした?すぐ好きになりました?

なりましたね。当時この他にも色々借りてたんですよ、カッコつけてロバート・ジョンソンとか。でも中学生にロバート・ジョンソンとか分かるわけないじゃないですか(笑)?
そんな中この〈図書館3部作〉は今に至るまで大事に聴き続けてる曲になりましたね。
で、後々調べて分かったんですけど、確かこのロンセクのアルバム、プロデューサーがミッチェル・フルームで、次に挙げるボニー・レイットの方もミッチェル・フルーム・プロデュースなんですよね。

―密かにリンクしてたんですね。

ですね。でもこの曲、凄いシンプルに聴こえるんですけど、この時代にビブラフォンをがっつりフィーチャーしてたりして挑戦的なんですよね。後々自分がちゃんと音楽やるようになってから聴くとより好きになったり。当時はここからSSWモノを掘り下げたりしましたね。

そういえば、森は生きているがフジロックの”ROOKIE A GO-GO”に出た時だったと思うんですけど、ロンセクが自分らと同日に出る事が分かって。”ROOKIE~”なんて夜中だから夜苗場に着けばいいのにレッドマーキーに出るロンセクを見たいが為にメンバーを説得して昼に行って。皆で見た思い出があります。

―2曲目はBonnie Raitt(ボニー・レイット)の「The Fundamental Things」。これは〈図書館3部作〉の2枚目ですよね。これはシブいですよね…ジャケ借りですか?

何でだろう…ジャケかな。でも僕の南部系の音楽が凄い好きなのは、コレがあったからな気がします。

―やっぱりちょっと粘っこいサウンドですもんね。

朝聴きたくないですもん(笑)。

ー聴きたくないですね~(笑)。

このアルバム(『Fundamental』)には参加してないんですけど、この頃のボニーをサポートしていた人でジョン・クリアリーって鍵盤奏者がいて、彼は僕が影響を受けたピアニストの内の一人ですね。元々イギリス生まれで、プロフェッサー・ロングヘアの元で修行してたりする人なんですけど。高校卒業のタイミングで彼のプレイを作品で聴いて、後々掘り下げていくようになってた時に実はボニーと一緒にやってたのが分かったっていう。

ーこれを聴く中学生って相当シブいですよね。中学生の谷口少年はどんな少年だったんですか?その頃からスワローズファン?

ノートの端っこに(打線の)オーダーをずっと書いてました。しかも当時のオーダーじゃなくて2軍の選手を調べて5年後のオーダーを予想して。

―本気のやつですね(笑)。でもやっぱりその当時から分析癖みたいなのがあったんですね。
音楽面ではどんな感じでした?

ちっちゃい頃からクラシックピアノを習ってて、中学の時は合唱のピアノの伴奏をやってました。あと実はギターは中学1年位の時から触ってるんです。所謂バンド的な楽器の触り方はピアノよりギターの方が早かったですね。コード譜見ながらオアシスとか弾いてましたよ。あと母親が『月刊歌謡曲』買ってきてくれたり、(母親が)ハマショー(浜田省吾)好きだったから、ハマショーのバンドスコア買ってきてくれたり。ほんとはハマショーとか(10曲に)入れたかったんですけどね(笑)。

ー3曲目はAl Jarreau(アル・ジャロウ)の「Easy」、〈図書館3部作〉の3曲目ですね。またよくこれに引っ掛かりましたよね(笑)。やっぱりジャケですか?

何でだろう…分かんない。オモシロおじさんじゃないですか、見た目が。ゴルファーかよ、っていう(笑)。でも今でもライブ帰りの車の中とかで毎回聴いてます。元気出るんで(笑)。

―演奏普通にカッコいいですよね。

カッコいいですよね、真剣にやってるのがイイ。あとやっぱ鳴ってる楽器の音がそれまで聴いたことない楽器の音だったんです。これ1981年のシンセ全盛の頃なんで、エレピの音も今と全然違ってて。歌が英語かどうかもよく分かんないし、声も独特ですよね。再評価来るかな~、このアルバム(笑)。
で、この後のスキャットソロがヤバいんですよ。こんな構成の曲ないですよ、スキャットの後にこんなソロ回しする!?っていう。

ー(神鳥)このアルバムはレコ屋セールの定番だからね。内容は良いんだけど。

でも確かに、これ聴いて自分の中で鍵盤楽器の可能性が広がったのはありますね。それまではクラシックピアノしか弾いてこなかったですから。ルーツって呼べるかは分からないですけど、この〈図書館3部作〉は本当によく聴いてましたね。この3枚で自分の中の「SSW的な趣味」と「南部的な趣味」、「ソウルやブラコン的な趣味」が出来上がったんだと思います。西荻窪の図書館はマニアックなもの置いてましたからね。新しい音楽への抵抗をなくしてくれたのは大きかったですね。

ーこの頃ってもうバンドは組んでました?

いや、まだですね。高校生になってからです。でも実際組んでみても、バンドでやる音楽と普段聴く音楽がリンクしてなくて。自分がギターヴォーカルでグレイプバインのコピーとかやってましたね。同時にドラムもやってましたし。

ー4曲目はAretha Franklin(アレサ・フランクリン)の「Chains of Fools」。

これは決してソウルクラシック的に入ったワケではないんです。また母親の話になるんですけど、ハマショーとかシャ乱Q好きだった母親が当時急に氷川きよしにハマって。そのまま氷川きよしを掘り下げて行ったらアレサに行きついたみたいで、ある時『Lady Soul』のCDを買ってきたんです。で、そのまま俺の方がハマりました。

ー(神鳥)日本の演歌って向こうのソウルと近いものあるよね。

確かに、コブシ感とかもありますもんね。最初は純粋に「こんな歌い方する人いるんだ」って思いましたね。コーラスもこんな一生懸命に歌って良いんだ!?とか。
音で言うと、1968年の作品っていうもありますけど、最初の3枚のアルバムに比べたらドラムがかなりくぐもってるし。逆に新鮮でしたね。

ー全くヌケてないですもんね、ドラム。

そうですね。そもそもこれまで聴いた事ない楽器構成だったし、「このブリブリ動いてるのってベースなのかな」とか「ここまで音がくぐもってるのに何でメチャクチャ踊れるんだろう」みたいな事を思ってました。
これバックの演奏は白人なんですよね。後でそれを知って驚いて。そういう意味でも未だに発見のあるアルバムですね。そして、ボニー・レイットで触れた南部的な趣味がこれで決定づけられた感じもあります。

ー少し話は変わるんですが、この頃って情報収集ってどうしてました?まだYou Tubeとか無かったですもんね。

雑誌やインターネットもまだそんなにやってなかったので、ライナーノーツですかね。これ、当時スワンプサウンドを修行中だったエリック・クラプトンも参加してるんですよね。あとキャロル・キングのカバーも入ってるんですけど、そっからSSWモノを掘りはじめたりとかしてました。

ーでは、他に好きなソウルのアルバムってあります?

最近はフォー・トップスが〈ダンヒル〉(Dunhill Records)に行った辺りのアルバムを聴いてますね。その頃のプロデューサーがデニス・ランバートっていう人で、〈ダンヒル〉お抱えのプロデューサーなんですけど、なんて言うのかな、この白黒混合じゃないですけど、チームとして人種を越えてる系が好きなんだと思います。(自分の)日本人的なコンプレックスもあると思うんですけど、白人も同じように黒人のビートを手に入れたいと思ってるだろうし、その中でどういう風にアプローチしているかっていうのが分かるアルバムに惹かれますね。

ー5曲目はAl Green (アル・グリーン)の「How Can You Mend a Broken Heart?」です。

これも親シリーズです。母親がラブコメ映画が好きで、家でよく流れてたんですよね。このアル・グリーンは『ノッティングヒルの恋人』っていう映画で使われてて。主人公のヒュー・グラントがヒロインと別れて1年くらい時間が経つっていうシーンを描いたトコなんですけど、主人公が市場を歩くシーンで背景だけが季節ごとに変わっていくんです。春に歩き始めて、歩いてくごとに後ろの背景が変わっていくっていう演出をワンカットで撮ってて、それがメチャクチャカッコいいなと思って。そのバックで流れてる曲なんです。アルはなんか泣いてるみたいな歌い方だし。見事に歌にハマってて。
ちょうど今関取花バンドで一緒に来てるベースのガリバー鈴木さんは、アメリカに住んでた事があるんですけど、彼曰くアメリカ人は辛いことがあって落ち込んだ時に毎回この曲聴くみたいですよ(笑)。

ー(神鳥)このアルバムはウチでもこれまで何回転したか分かんない位のレコ屋の超鉄板アイテムだね。

ほんと全曲良いですよね。ドはまりしました。

ーこの頃ってもうCDでアルバムを買ってたんですか?

高校生になったくらいの頃だから、買い始めた頃ですね。吉祥寺が近かったんで、新星堂がやってるディスク・インっていうお店が高架下にあってそこによく行ってましたね。親父がずっと床屋をやってて、そこのお客さんに新星堂の社長さんがいたんですよ。そういうのもあって、新星堂ばっかり行ってました。バイヤーさんが何人か居て、ジャンル毎にいっぱい試聴機があって、良かったですね。
ちょっと映画音楽の話に戻るんですけど、向こうの映画の良い所って普通にクラシックな楽曲を使ってるじゃないですか。それでかなり勉強になりましたもん。そういう文化が根付いてるのは良いですよね。

ー確かに、現代劇に昔の曲を使う事は日本ではあまりないですもんね。

最近になって岡田(拓郎)くんがサントラの仕事やりだして、それを自分も手伝ったりして。自分の弾いた楽曲が映画館で流れるのを聴いた時は夢が一つ叶った!って言うと大袈裟ですけどやっぱり「うわー」ってなりますね。

ー6曲目はThe Jayhawks(ジェイホークス) の「Blue」ですね。

この曲が入ってるアルバムは通販でステレオレコーズさんから買いました。再発出る前だから2012年位かな。その後まさかこんなにお世話になるとは思ってなかったです(笑)。

ーありがとうございます(笑)。このバンドも知名度はそんなに高くないですよね。

ソーンズ(The Thorns)っていうマシュー・スウィートが在籍しているバンドが2003年に出したアルバムにこの曲が入ってて。当時テレビ神奈川でやってた夕方の音楽番組でこのソーンズのバージョンが流れたんですよ。それが滅茶苦茶良くて、「これ誰の曲なんだろう?」ってのが始まりですね。で、国内盤が出てたんで新星堂で買ってライナー読んでたら、どうやらジェイホークスっていうバンドの曲らしい、と。

ーこっちのソーンズのバージョンが先なんですね。

そう。いま中古屋でこのアルバム100円くらいで見るんで、結構売れたんじゃないかな。
で、ここからオルタナカントリーが気になり始めるんです。ジェイホークスのメンバーがソウル・アサイラムウィルコの面々とやってるゴールデン・スモッグからウィルコ本隊を知ったり。それが高2~高3の頃かな。

ーという事はバンドは既に組んでた頃?

はい。でも当時悩んでた事があって、自分の一番得意とするピアノでどうやってバンドで演奏したら良いか分かんなかったんです。「何を参照したら良いのかな?」って。そんな時にこの辺の音楽を聴いてピアノにもこんな使い方があるのか、と。実際ジェイホークスには女性の鍵盤奏者がいて、バリバリ弾いてるんですよね。別にピアノアルバムってワケではないですけど、プレイスタイルとかはだいぶ影響受けてると思います。もしこのアルバム聴いてなかったら、バンドでピアノを演奏する事を諦めてたかもしれないです。そういった意味では鍵盤楽器への目覚めの1枚ですかね。

―7曲目はThe Band (ザ・バンド)の 「The Night They Drove Old Dixie Down」。

これは自分がバイトし始めてそのお金でCDをバンバン買えるようになった頃ですね。当時吉祥寺のパルコの地下にHMVができて、そこのセールコーナーで見つけました。当時はザ・バンドの事は知らなくて、名前がシンプルでカッコいいな、位に思ってました。で、1ST(『Music From Big Pink』)と2ND(『The Band』)を一緒に買って、2NDの方にハマりましたね。

ーへえ。渋いですね。普通は1STな気がします。

ボーカルが3人いたりとか、ドラムが交代したりとか、何か面白いなあと思いましたね。よくよく調べてみたら鍵盤も二人いるし。バンドで鍵盤出来なくて今まで悩んでたけど、「実はこういう人たちもいるんじゃん!」って。

ーその頃はどんなのを買ってました?

当時バイトしてたスーパーの先輩に60~70年代の音楽にすげえ詳しい人がいて、その人に教えて貰ったアーティストを買いに行くって感じでしたね。ほんと、吉祥寺のHMVとディスクユニオンは通いましたね。音楽にお金を払うために働くんだって意識が芽生えてた頃だと思います。当時はCDを買ってそれを聴くっていう行為に憑りつかれてましたね、月30枚は絶対買ってたし。

ー居ますね、そういう人(笑)。

でも同時に、自分の好きな音楽をアウトプットできる場所が無かったんです。バンド活動は挫折の連続で、その頃僕、ポストロックバンドでドラムやってましたから、7拍子とか叩いてましたし(笑)。そういった事をやりながらも「どうして音楽の趣味が合うヤツがいないんだろう」ってどこかで思ってました。〈森は生きている〉(以下 : 森)に入るまでは自分のインプットを出せる場所が無かったですね。

ー結構悶々としてたんですね。その後よく〈森〉のメンバーと巡り合えましたね。当時僕も端から見てて思ってましたから、「若いのによくこんなメンバー集まったな」って。

ドラマーの増村君とは前から顔見知りだったんですけど、元々僕が〈森〉のファンだったんです。音源はまだ出してなかったんですけど、音は知ってて。「こんなバンドが居るんだ!」と思いましたね。そしたらある時、辞めた鍵盤(のメンバー)の募集を〈森〉のブログでしてて、すぐ連絡取りました。それが25,6歳の時かな。「ここ逃したら俺もうないな」って思ってましたから。単純に自分と近い趣味の音楽の話が一緒にできて、そういう音が一緒に出せる友達が欲しかったっていうのもありますけど。

ーなるほど。その年齢で言うと、大学卒業して仕事してた頃?

普通に仕事してましたね。でも、「これから自分はなにをやっていきたいのか?」っていうのをずっと考えながら働いてました。音楽は聴きまくってましたけど。
実はそのブログも今〈ミッドナイト・ランブルショー〉を一緒にやってる吉村類さんが教えてくれて。あの方は恩人でもあります(笑)。

ーなかなかドラマチックな話ですね。

自分の中でザ・バンドはきっかけですね。自分がそれまで聴いてきた音楽を経て、「こういう風にやりたいんだ」っていう思いを持たせてくれた1枚かな。これ聴いてなかったら森の音楽にも反応してなかったと思います。
実はレコードを買い始めたのも実は森のメンバー達に勧められたからなんです。

ーじゃあレコードデビューは結構遅いんですね。

最初っからアナログで買ってれば(CDで持ってるやつを)買い直さなくてよかったのになあ、って思ってます(笑)。

ー8曲目はRyan Adams (ライアン・アダムス)。曲は「Oh My Sweet Carolina」です。

これも20代前半のCDを買い漁ってた頃ですね。確か、21~22歳の時に『Easy Tiger』ってアルバムを買って、それきっかけですね。
でも、ひとつのアーティストを真剣に掘ったのはライアン・アダムスが初かも。この曲が入ってるアルバム(『Heartbreaker』)が一番好きですね。
何か出てくるエピソードも面白いのばっかなんですよね。楽屋からいっつもマリファナの臭いがするとか、2005年のフジロックで雷にキレてずっとノイズばっかり出したとか(笑)。ミュージシャンってこうで良いんだなって思わせてくれました。行儀よくやってもつまんないし、こういうカッコ良さって今でもあるんだなって。でも作る作品全部素晴らしくて。

ーライアン・アダムス良いですよねえ。

このアルバム、ウィルコのパット・サンソンやデイヴィッド・ローリングス、ギリアン・ウェルチとかが参加してて。

ー結構豪華メンバーですね。

そう。でもまだ皆売れてない頃だから。下積み時代というか。

ーここから皆ちゃんと売れていくの凄いですよね。

ですよね。で、ここから同時代の音楽への扉が開けましたね。(楽曲の動画を見ながら)ここで今流れてるピアノソロはパット・サンソンが弾いてるんですけど、パットの鍵盤にはめちゃめちゃ影響受けてます。一回〈森〉でオータム・ディフェンス(パットと同じくウィルコのジョン・スティラットが一緒にやっているバンド)の来日公演の前座をさせて貰った事があって。このアルバムの事をパットと喋りましたもん。

―胸アツですね。

今想うと泣けてきますね(笑)。

あと、同時に90~00年代のアメリカーナも掘り始めて、実はそういう人たちがみんなビッグ・スター好きだから、そっからパワーポップいったり。この頃から自分が聴いてきたものが体系づけられていきましたね。点から線になっていくみたいな。

ーライアン・アダムスはどのアルバムからリアルタイムで追っかけてました?

ライアン・アダムス・ウィズ・カーディナルズ名義で出した2005年の『Cold Roses』からですね。その数年後カーディナルズのベーシストが死んじゃったりとか、ライアン自身が耳の病気で半引退状態になったりとかするんですけど、リアルタイムで見てきて、一人のミュージシャンにこんなに一喜一憂する俺がいるんです。自分にとってのヒーローですね。

ー9曲目はLittle Feat(リトル・フィート)の「Willin」です。

これは先程のパット・サンソンと同様に自分が影響を受けたプレイヤーですね。バンド結成時からいる鍵盤奏者のビル・ペイン。リトル・フィートを知ったのはザ・バンドと同じ頃というか、先述のバイト先の先輩に教えてもらって。彼らはワーナーブラザーズ(の所属)なんですけど、ワーナーの歴史を遡って〈バーバンク・サウンド〉聴いたりとか、同じワーナーのドゥービー・ブラザーズ聴いたりとか、そういう広がり方もしました。
(楽曲を聴きながら)この後のピアノソロが最高なんですよ。(ソロを一緒に聴く)
これ、最初聴いた時はほんと衝撃で。この動画は何百回と見ましたね。彼らはライブバンドなんで、基本ソロも毎回違うんですけど、僕はライブ版の全てのバージョンをコピーしました。

ー凄いですね。

生涯で一曲選ぶとしたらこの曲かもしれないです。明日になったら変わるかもだけど(笑)。
でもリトル・フィートは自分の中では根幹ですね、フレーズやスタイル全てにおいて。単純に曲も良いんですけど、プレイヤーが全員上手い。

ーあの時代のバンドの中では演奏技術がひとつ抜けてますよね。

ですよね。けどこれちょっとめんどくさい感じで、オリジナル盤じゃないとその良さが分かんないんですよ。1万円以上するオリジナル盤。買えないって(笑)。
でもレコードの良い所ってCDとかデータ以上に情報量が多いトコじゃないですか。それで何が聴こえるかっていうと、ミュージシャンが一番出したい音、抜けさせたいプレイっていうか、それが一番出てくるモノだと思うんです。当時の古い音楽を聴くときはレコードじゃないと分かんないプレイがあるな、っていうのは(演者として)やってみてよく分かりましたね。

ーじゃあこの頃に吸収したものも〈森〉でのプレイに活きているんですね。

僕以外のメンバーは当時、リトル・フィートにはピンときてなかったぽいですけどね…いや、どうなんだろ、分かんない(笑)。
でも〈森〉のメンバーの良い所は、どんなバンドでも神格化しない事というか。どんなレジェンド系のバンドでもちゃんと研究対象として見てましたね。別の存在にせずに、自分のプレイに活かすために、どういう所が凄いのかちゃんと研究する姿勢を持ってて。その辺の姿勢が一緒にいて一番気持ちよかったですね。
まあ、練習をしないバンドではありましたけど。ほんと練習しなかった(笑)。

ーいよいよラスト、10曲目はGLEN CAMPBELL(グレン・キャンベル)の「Wichita Lineman」ですね。

これは〈森〉が解散して「一体これからどうしていこう?」って感じになってた頃ですね。それまでも色々サポートはやってたんですけど、あくまでもベースに〈森は生きている〉というバンドがあって、そのうえでやってたんで。何かアイデンティティクライシスみたいになっちゃって。
そんな時にソロのライブをやってみないか?って色んな方から誘われて、一回神保町の〈試聴室〉で、ソロライブみたいなやつをやったんですよ。けど、自分の曲もそんなにないし、じゃあレコード漫談みたいなのを一緒にやってみようと思って。自分のレコードを何枚か持って行って、「ドクター・ジョンとリビー・タイタスが付き合ってて…」みたいな話ばっかしてたんですよ(笑)。

ーそれが始まりなんですね。

そう。そしたら〈試聴室〉の店長の根津さんがすごい気に入ってくれて。「こういうイベントやろうよ、来月から」って言われて、その場で(相方の)吉村さんに連絡して。
で、そうやって始まった〈ミッドナイト・ランブル・ショー〉の第一回のテーマが〈レッキング・クルー〉だったんです。で、当然この曲も紹介して。元々知ってた曲ではあったんですけど、改めて音楽的に聴いてみると新しい発見があったりしましたね。イントロにベースのフレーズが入ってるんですけど、これは〈レッキング・クルー〉のベーシストだったキャロル・ケイが後から足してるんです。もちろんプレーヤーとしても素晴らしいミュージシャンです。
で、当時「自分はこれからバックミュージシャンとしてやっていくしかないだろうな」って思ってたんですけど、それでもまだ他にもできる事は色々あるんだなって気付くことができましたね。そういったサポートプレーヤーとしての活動以外の部分のベースになった曲でもあるし、偶然にも〈レッキング・クルー〉を最初のテーマにした事で、「サポートプレーヤーとして今後どうやってやっていくか」っていう自分の指針にもなった曲でもあるっていう。

ーなるほど。二重の意味で今の谷口さんを象徴する楽曲なんですね。でも確かに、最近色んなとこで谷口さんの名前を見るようになりましたもんね。

有難いことに思いもよらぬ所から声掛けて頂いたりして。それこそ今回一緒に回ってる関取花ちゃんは、森の頃から一緒にやってきたいわば同期みたいな感じですからね。最初の頃から比べたら格段に規模も認知度も上がって来てるので、そこに今一緒にいられるっていうのは嬉しいですね。

ーサポートプレーヤーに専念するようになって分かった事とかってありますか?

なんか〈レッキング・クルー〉のメンバーって、我はあるんですけどその出し方が的確なんですよね。歌を殺さないでちゃんと後押しできる演奏というか。それと同時に創造的でもあるし。
僕も森に入ったばかりの頃はライブで頭ガンガン降ってるような、派手なプレイを心掛けてたんですけど、「ほんとにカッコいいミュージシャンってこういう事なんだな」っていうのを改めて思い知らされましたね。他の〈レッキング・クルー〉周辺のも聴いて、今後サポートプレーヤーとしてやっていく勇気が沸いたというか、そんな楽曲ですね。


■ 谷口雄 (たにぐち・ゆう)
1985年東京生まれ、善福寺公園育ち。幼少時よりクラシックピアノを磯崎淳子氏に師事。バンド、森は生きているのメンバーとして2013年にCDデビュー。2015年の解散後は、様々なミュージシャンのライブ/レコーディングに鍵盤奏者・アレンジャー・プロデューサー・エンジニアとして参加している。
アメリカンポップスやルーツロックへの偏愛から、ライナーノーツやディスクレビューなどの執筆も多数。その豊富で偏執的な知識を活かし、2016年よりトークイベント「谷口雄のミッドナイト・ランブル・ショー」を毎月開催、また2017年には映画「PARKS」に出演するなど、活動の幅を広げている。
スワンプ・ロックとSF小説、ヤクルトスワローズのファン。
http://yutanigu.ch/